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「ドイツ陸軍の父」 モルトケ

今日4月24日は、プロイセン陸軍の参謀総長として、普墺戦争・普仏戦争を勝利に導き、ドイツ統一に貢献した軍人・軍事学者のモルトケ(大モルトケ)が、1891年に亡くなった日です。

1800年、ドイツ北東のパルヒムに、デンマークとドイツに古くから伝わる名家の子として生まれたヘルムート・フォン・モルトケは、デンマークの幼年士官学校に入学し、1818年にデンマーク軍の少尉となりましたが、1822年に同盟していたプロイセン軍へ移りました。

プロイセン陸軍大学を出て参謀将校になると、1835年から4年間オスマントルコの軍事顧問として、軍制改革や対外紛争の処理を指導するなど軍務体験を積み、1858年にプロイセン陸軍の参謀総長に就任します。ビスマルクの強兵政策に協力し、プロイセン軍を近代的に改革し、鉄道や電信・電話を利用して大兵力を移動させるなど近代的用兵術を練り上げました。

プロイセン軍は、1863年の対デンマーク戦に勝利して信頼を高めると、1866年の対オーストリア戦(普墺戦争)では、オーストリア軍に集中打を浴びせてわずか3週間で勝利しました。1870年5月に始まった対フランス戦(普仏戦争)でも、さらに磨きがかけられた戦術 [分散進撃・包囲・一斉攻撃] による「セダンの戦い」で、フランス皇帝ナポレオン3世を捕虜にして勝利するなど、10か月近くにわたる戦争をプロイセン側の圧倒的勝利に終わらせました。この普仏戦争の勝利によって、ドイツ諸邦はプロイセン主導によって統一され、1871年に「ドイツ帝国」が成立しました。

モルトケは、自国の防衛は、他国への攻撃によって保証されると考えた人物であるとともに、軍部の独立を主張したため、しばしばビスマルクと対立しました。しかし、政治的野心は少なく、控え目で落ち着いた人物だったことから「偉大な沈黙者」といわれました。ドイツ帝国成立後はフランスとロシアに対する予防戦争・二正面作戦計画を立てていましたが、1888年に高齢を理由に参謀総長を辞任しました。

なお、モルトケ(大モルトケ)は、1906年に甥のモルトケ(小モルトケ)も参謀総長となっているため、大・小と区別しています。


「4月24日にあった主なできごと」

1951年 桜木町事故…京浜東北線の電車が、桜木町駅到着寸前に切れた架線にふれて1・2両目が炎上、木製屋根と旧式の3段開き窓のため乗客は逃げ切れず、死者106名、重傷者92名を出す大事故となりました。この事故の教訓から、電車の鋼鉄化が急速に促進されました。

1955年 アジア・アフリカ会議…インドのネルー首相、インドネシアのスカルノ大統領、中国の周恩来首相、エジプトのナセル大統領が中心となって、インドネシアのバンドンで「アジア・アフリカ会議」が開催され、この日反植民地主義・民族主義・平和共存など世界平和と協力の推進に関する宣言・平和十原則を採択、アメリカ(西側諸国)、ソビエト(東側諸国)のどちらの陣営にも属さない、いわゆる第三世界の存在を確立しました。
投稿日:2015年04月24日(金) 05:00

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)