児童英語・図書出版社 創業者のこだわりブログ Top >  今日はこんな日 >  『十六夜日記』 の阿仏尼

『十六夜日記』 の阿仏尼

今日4月8日は、鎌倉時代中期の女流歌人で、数々の教養あふれる作品を残した阿仏尼(あぶつに)が、1283年に亡くなった日です。

1222年ころ、桓武平氏の流れをくむ平繁貞の養女として生まれたとされる阿仏尼ですが、実父母も実名も不明です。高倉天皇孫娘の安嘉門院に仕え、のちに歌人の藤原為家の後妻となって、冷泉為相(ためすけ)と為守を生み、為家が亡くなると、仏門に入り、阿仏尼と号しました。

若いころから情熱的な感情の持ち主で、失恋したことから髪を切り落とし、嵐の中を西山(京都)へ走ったと伝えられています。いっぽう、冷静な理知にも恵まれ、のちに嵯峨の山荘で、為家に代わり、弟子に『源氏物語』を講義するほどでした。

有名な『十六夜(いざよい)日記』は、1279年、為家正妻の子二条為氏と、実子の冷泉為相とが、播磨国細川荘(今の兵庫県三木市)の領地相続をめぐって争ったとき、幕府に訴えるため京都から鎌倉へ下ったときの紀行と鎌倉滞在のことを記したものです。各地の風物、名所・旧跡などを日記に書いたり、和歌に読みこみました。完成は、1280〜82年といわれています。

他の作品には、若いころの失恋顛末記を書いた『うたたね』、訴訟の勝利を祈願して奉納した『安嘉門院四条五百首』、『続古今和歌集』以下勅撰集におさめられている40首などがあり、女性向けの教訓書である『乳母(めのと)のふみ』、歌論書『夜の鶴』も阿仏尼の作といわれています。


「4月8日にあった主なできごと」

1147年 源頼朝誕生…平安時代末期に源義朝の3男に生まれ、平治の乱で敗れて伊豆へ流されるも平氏打倒の兵を挙げ、関東を平定して、はじめて武士による政権となる「鎌倉幕府」を開いた源頼朝が生まれました。

1350年 吉田兼好死去…清少納言の『枕草子』と並び、随筆文学の傑作『徒然草』を著わした僧侶で歌人の吉田兼好が亡くなりました。

1820年 ミロのビーナス発見…ギリシアのミロス島で、ひとりの農夫が両腕の欠けた美しい大理石の女神を発見。島の名にちなんで「ミロのビーナス」と命名されました。古代ギリシア時代の一級彫刻作品として、パリのルーブル美術館が所蔵しています。
 
1973年 ピカソ死去…スペインが生んだ世界的な画家・版画家・彫刻家・陶芸家のピカソが、この日92歳で亡くなりました。
投稿日:2015年04月08日(水) 05:58

 <  前の記事 「忘れられていた巨匠」 グレコ  |  トップページ  |  次の記事 「バスティーユ襲撃」 とネッケル  > 

トラックバック

このエントリーのトラックバックURL:
http://mt.izumishobo.co.jp/mt-tb.cgi/3566

コメントを投稿

(いままで、ここでコメントしたことがないときは、コメントを表示する前にこのブログのオーナーの承認が必要になることがあります。承認されるまではコメントは表示されません。そのときはしばらく待ってください。)

         

2015年04月

      1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30    

月別アーカイブ

 

Mobile

児童英語・図書出版社 社長のこだわりプログmobile ver. http://mt.izumishobo.co.jp/plugins/Mobile/mtm.cgi?b=6

プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)