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『ニルスのふしぎな旅』 のラーゲルレープ

今日3月16日は、スウェーデン人初となるノーベル賞(文学賞)を受賞した女性作家ラーゲルレープが、1940年に亡くなった日です。

1858年、スウェーデン中部べルムランド地方のモールバッカに、没落しつつある名家の子として生まれたセルマ・ラーゲルレーブは、生まれつき足が不自由だったために外遊びができず、文学好きの父や民間伝承に詳しい祖母の影響で、文学の好きな少女に成長します。ストックホルムの高等師範学校を卒業後、1885年南部のランスクローナで女子高等師範学校の教師となり、そのかたわら、詩や短編小説を雑誌の懸賞小説に投稿したりしました。

1890年に投稿した短編が受賞すると、翌年に『ヨスタ・ベルリング物語』を刊行、1894年に出版した短編集『見えざる絆』が商業的な成功を収めたことで専業作家になります。それ以降も夢と創造力に満ちあふれた作品『アンチ・キリストの奇跡』『クンガヘラの女王たち』『地主屋敷の物語』が次々と刊行され、国内ばかりでなく世界にも、多くのファンを持つようになりました。

さらに1896年、スウェーデン中部のダーラナ地方で、「神の声を聞いた」という農民たちがエルサレムに集団移住すると、ラーゲルレーブはエルサレムを訪れて移住した農民たちを取材し、国内に残った農民たちとの葛藤と和解を描いた大著『エルサレム』は、国際的に高く評価されました。

そして1880年、国民学校の教育向上を目的に、政府から初等教育に使用する地理読本の執筆を依頼されると、その依頼に応え、スウェーデン各地を取材するなど十数年かけて代表作となる『ニルスのふしぎな旅』を刊行しました。この作品は、次のような内容です。

わんぱくでいたずら好きの少年ニルスは、いつも家畜をいじめてばかりいました。ある日曜日の朝、両親が教会にでかけた留守に、ニルスは小妖精トムテが、母親の長持をかきまわしているのを見つけて捕まえます。ところが、おこったトムテに魔法をかけられ、小人にされてしまいます。小さくなったニルスは、動物の言葉を理解できるようになるものの、普段いじめられていた家畜たちはニルスの小さな姿を見て、仕返しにかかります。 家で飼っていたガチョウのモルテンがたまたま通りかかったガンの群れに「飛べない鳥」とからかわれると、悔しまぎれに飛び立ったところ、モルテンを捕まえようとしたニルスもいっしょに飛び立ちました。こうしてニルスとモルテンは、ガンの女隊長アッカに認められ、13羽のガンたちといっしょに、北のラップランドをめざして旅することになったのでした。
ニルスは、モルテンやアッカ隊長とガンの仲間たちとともに、さまざまな土地を訪れます。時には励まされ時には厳しい叱咤を受けながら、ニルスは行く先々でたくさんの動物たちと出会い、ふれあううち、次第に成長して行きます。
やがて一行はラップランドに到着し、一夏を過ごします。秋になり、今度は南をめざして帰路へと旅立ち、ニルスはいろいろな冒険をしながらスウェーデンの伝説や歴史・地理を学び、いよいよニルスの家が近づくと、アッカ隊長はニルスに妖精トムテからの伝言として、元にもどるには、モルテンの命を生けにえに差し出さなければならないと宣告します。一足先にモルテンがニルスの家へ帰ると、ニルスの両親はモルテンを絞め殺そうとしています。ニルスは思わず、モルテンを殺してはいけないと叫び、気がつくと人間にもどっていました……。

ラーゲルレーブは、『ニルスのふしぎな旅』を刊行した2年後の1909年、女性としてはじめてのノーベル文学賞を受賞すると、民話を素材にした幻想の世界を紹介した大作家の作品として世界じゅうで翻訳されました。

日本では1918年、『ニルスのふしぎな旅』は「飛行一寸法師」として初めて出版されました。


「3月16日にあった主なできごと」

1600年 リーフデ号漂着…難破したオランダ商船「リーフデ号」が、豊後国(大分県)の臼杵に漂着しました。この船に乗っていたウイリアム・アダムスは「三浦按針」として徳川家康に仕えました。

1934年 国立公園…日本で初めて、瀬戸内海・雲仙・霧島国立公園の3か所が指定されました。国立公園とは、国が指定し保護・管理をする自然公園のことで、現在では、阿寒・大雪山・支笏洞爺・知床・利尻礼文サロベツ・釧路湿原・十和田八幡平・磐梯朝日・三陸復興・日光・富士箱根伊豆・秩父多摩甲斐・南アルプス・小笠原・尾瀬・中部山岳・伊勢志摩・上信越高原・白山・吉野熊野・山陰海岸・大山隠岐・足摺宇和海・阿蘇くじゅう・西海・西表石垣・慶良間諸島国立公園が加わっています。
投稿日:2015年03月16日(月) 05:06

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)