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「イタリア統一」 に貢献したマッツィーニ

今日3月10日は、カブール、ガリバルディと並び「イタリア統一の三傑」の一人とされる社会運動家のマッツィーニが、1872年に亡くなった日です。

1805年、イタリア北西部の港町ジェノバに、医者の子に生まれたジュゼッペ・マッツィーニは、子どものころは病弱でしたが聡明な青年に育ち、ジェノバ大学で法律を学び、卒業後に弁護士を開業しながら、評論活動をはじめました。

イタリアは中世以来、都市国家が乱立し、多くの国から支配されてきました。フランス革命の影響を受けてからは、統一の動きが少しずつ活発になってきているのを感じたマッツィーニは、秘密結社のカルボナリに入党しました。やがて自身のめざす方向と違う組織に限界を感じはじめた1830年、逮捕されて国外追放されてしまいました。しかし翌1831年、亡命先のフランス・マルセイユに、イタリアの統一と自由共和国をめざす政治結社「青年イタリア」を結成します。

この結社は、その政治的信条を出版活動を通じて公言し続けることと、ゲリラ方式の反乱を重視した活動で、国内へ急速に浸透しはじめました。1848年、市民の蜂起でミラノに革命がおこると、マッツィーニはすぐにミラノに入って活動し、翌年に「ローマ共和国」を打ち立てると、アウレリオ・サッフィ、カルロ・アルメッリーニと共に三頭政治のひとりに選ばれました。

しかし、この共和国はルイ・ナポレオンの軍事介入により短命に終わってしまいましたが、イタリアの自由主義、国民主義は依然として高まりを見せていました。スイスとロンドンに亡命したマッツィーニは、外国からミラノ、ジェノバなどの革命運動を指導しつづけました。しかし、1953年のミラノ蜂起、1957年のジェノバ蜂起に失敗したことで、マッツィーニの主張はしだいに支持を失いはじめ、イタリアの国民主義者たちはサルディーニャ王国とその首相カブールに期待を寄せるようになってきました。

1859年から1862年の対オーストリア戦争において、フランスとの同盟を組んだカブール、南部イタリアを進軍し占領地を王に献上したガリバルディらの活躍によって立憲君主制の「イタリア王国」が成立しますが、これはローマとベネチアを除外したもので、マッツィーニの主張する共和国とは程遠いものでした。

反発したマッツィーニは再び亡命し、ローマとベネチアの解放に努力しながら、「イタリア労働者協会」を通じて労働運動に強い影響を与え、1864年には第一インターナショナルに参加するもののマルクスらと対立して脱退。一時イタリア議会に選出されましたが、王制への反発からこれを拒否しました。1870年にイタリア国家がローマを併合して統一が果たされましたが、失意のうちにピサで死去したのでした。

のちに徳富蘇峰は、著書『吉田松陰』の中でマッツィーニを、松陰の精神と横井小楠の理想を併せ持った人物と紹介しています。


「3月10日にあった主なできごと」

710年 奈良時代始まる…天智天皇(中大兄皇子) の4女である元明天皇が、藤原京から奈良の平城京に都を移し、奈良時代がはじまりました。

1945年 東京大空襲…第2次世界大戦の末期、東京はアメリカ軍により100回以上もの空襲を受けましたが、この日の前夜から深夜にかけての空襲はもっとも大規模なものでした。B-29爆撃機およそ300機が飛来して、超低空から木造家屋へ、大量の手榴弾、機銃掃射、焼夷弾を浴びせました。爆撃は2時間40分にもわたり、その夜の東京は、強い北西の季節風が吹いていたため、下町地区は火の海と化し、死亡・行方不明者は10万人以上、焼失家屋18万戸、罹災37万世帯、東京市街地の3分の1以上が焼失しました。
投稿日:2015年03月10日(火) 05:03

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)