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「国語辞典の先駆」 大槻文彦

今日2月17日は、わが国初の近代的国語辞典『言海』『大言海』を編さんした国語学者の大槻文彦(おおつき ふみひこ)が、1928年に亡くなった日です。

1847年、儒学者大槻磐渓の3男として江戸に生まれた大槻文彦(本名・清復)は、若いころから開成所、仙台藩校養賢堂、大学南校などで漢学・英学・数学・蘭学を修めたのち、1872年に文部省に入りました。

当時、欧米の列強国では、国語を統一するために辞書作りが行われ、『オックスフォード英語辞典』(英)、『ウェブスター大辞典』(米)、エミール・リトレ『フランス語辞典』、グリム兄弟『ドイツ語辞典』などが知られていました。

1875年、当時の上司西村茂樹から国語辞書の編さんを命じられた大槻は、欧米の辞書を参考にしなから原稿を書き始め、10年の歳月をかけて4万語からなる『言海』を、1886年に完成させました。しかし未刊のままだったため、その後校正をつづけ、文部省の認可をえて1889年から91年にかけ「ことばのうみ」として自費出版をしました。その後、『言海』と名称を変え、画期的な国語辞典として、数百版を重ねています。

やがて大槻は、国語学の権威として「文法会」を同志とともにおこし、1897年に『広日本文典』を著して、後の国文法研究の模範としたほか、1902年には国語調査委員会主査として口語文法の調査研究に当たり、同委員会の『口語法』(1916年)を生み出し、「かな文字」の普及にもつくしました。そのかたわら、宮城師範学校(現・宮城教育大学)校長、宮城県尋常中学校(現・仙台第一高校)校長を務めています。

晩年の十数年は、『言海』の増補改訂版である『大言海』の執筆に移りましたが、没後の1937年、弟子たちの手で完成させました。近代的辞書の編さん、文典の著述、国字問題への尽力という分野での大槻の業績は、今も高く評価されています。


「2月17日にあった主なできごと」

1856年 ハイネ死去…『歌の本』などの抒情詩をはじめ、多くの旅行体験をもとにした紀行、批評精神に裏づけされた風刺詩や時事詩を発表したドイツの文学者ハイネが亡くなりました。

1872年 島崎藤村誕生…処女詩集『若菜集』や『落梅集』で近代詩に新しい道を開き、のちに『破戒』や『夜明け前』などを著した作家の島崎藤村が生まれました。

1925年 ツタンカーメン発掘…イギリスの考古学者カーターはこの日、3000年も昔の古代エジプトのファラオ・ツタンカーメンの、235kgもの黄金の棺に眠るミイラを発見しました。

1946年 金融緊急措置令…第2次世界大戦後の急激なインフレを抑えるため、金融緊急措置令を施行。これにより、銀行預金は封鎖され、従来の紙幣(旧円)は強制的に銀行へ預金させる一方、旧円の市場流通を停止、新紙幣(新円)との交換を月に世帯主300円、家族一人月100円以内に制限させるなどの金融制限策を実施しました。しかし、この効果は一時的で、1950年ころの物価は戦前の200倍にも達したといわれています。
投稿日:2015年02月17日(火) 05:17

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)