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「民権自由主義者」 植木枝盛

今日1月23日は、徹底した民主主義をとなえて『天賦人権弁』『民権自由論』を著すなど、自由民権運動の理論的指導者として活躍した明治期の思想家・植木枝盛(うえき えもり)が、1892年に亡くなった日です。

1857年、土佐藩士の長男として今の高知市中須賀町に生まれた植木枝盛は、藩校の致道館で学び、1873年に上京して海南私塾に入学するもののほどなく帰郷しました。板垣退助の演説を聞いて政治家を志し、1875年19歳で再び上京して明六社の演説会や福沢諭吉の書物などで啓蒙思想にふれるうち、自由民権論者になりました。その考えを『郵便報知新聞』『朝野新聞』『東京日日新聞』などに投書をはじめますが、1876年3月に投書した「猿人君主」が讒謗律(ざんぼうりつ)による筆禍事件として2か月投獄されてしまいました。

1877年板垣退助とともに帰郷すると、立志社に参加して立志社建白書を起草するなど、中心人物として活動し、1878年に民権運動の全国組織「愛国社」の再興のために四国、中国地方に遊説したり、国会期成同盟の結成(1880年)に重要な役割をはたしました。

1881年には、立志社の憲法草案『大日本国憲案』を書き上げますが、当時起草された数十篇の案の中では最も民主主義的なもので、一院制で男女普通選挙による議会の開設、基本的人権の保証、抵抗権や革命権までも認め、地方自治についても明記する画期的なものでした。

同年には、自由党の設立に参加し、機関誌『自由新聞』社説を担当するなど、各地を精力的に遊説して党の勢力を広げることに努めました。ところが、板垣の外遊をめぐる内紛のため1884年10月に解党すると、1886年高知県会議員のかたわら、中江兆民の『東雲新聞』の手伝い、同志社設立のための助力、愛国公党設立などに尽力し、1890年の第1回衆議院議員総選挙に高知県から立候補して当選しました。

しかし、第2回総選挙を前に35歳で亡くなりますが、毒殺の疑いももたれています。主著『民権自由論』(1879年)、『天賦人権弁』(1883年)のほか、その所論は、政治・社会から法律・宗教・文芸など多岐にわたるもので、その夭折が惜しまれています。


「1月23日にあった主なできごと」

1866年 寺田屋騒動…2日前に薩長同盟を締結させた坂本龍馬は、宿泊先の京都・寺田屋で、伏見町奉行所の捕り方に襲撃されました。同宿の養女・お龍(のちの妻)は風呂から裸のまま2階へかけ上がり危機を知らせました。龍馬は銃で応戦、左手の親指を負傷しながらも脱出に成功しました。

1869年 薩長土肥藩の版籍奉還…諸大名の封建支配が続いていては、真の国家統一はむずかしいと考えた明治政府の首脳木戸孝允や大久保利通らは、その旧主に版籍(土地と人民)を政府に返還させることにしました。この日、薩長土肥4藩主の連名で、版籍奉還の上表文を提出。これをきっかけに、3月までに諸藩主すべてが奉還を願い出ました。

1989年 ダリ死去…『記憶の固執』『ゆでたいんげん豆のある柔らかい構造』『燃えるキリン』などを描き、シュールレアリスムを代表するスペインの画家ダリが亡くなりました。
投稿日:2015年01月23日(金) 05:49

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)