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「マクドナルド」 のレイ・クロック

今日1月14日は、マクドナルドをフランチャイズ展開し、世界的企業に育てあげたアメリカの実業家レイ・クロックが、1984年に亡くなった日です。

1902年、シカゴに近いオークパークに生まれたレイ・クロックは、第一次世界大戦がおこったことで、高校を中退すると、志願して救急車のドライバーの訓練を受けて衛生隊に所属しました。終戦後はジャズ演奏家、紙コップのセールスマンなど職を転々としたのち、5種類のミルクセーキを同時に作る業務用ジューサーのセールスマンを経て、1941年に同ジューサーの独占販売権を取得して独立すると、売り込みのために国じゅうを旅してまわりました。

そんな中、カリフォルニア州サンバーナーディーノで、ハンバーガーショップ「マクドナルド」を開いていたマクドナルド兄弟と出あいました。レイ・クロックは、効率化された調理システムに興味を持ち、兄弟と交渉してシステムをチェーン展開するフランチャイズ権を獲得すると、1955年3月に「マクドナルド会社」を設立して社長になり、翌月には、イリノイ州デスプレーンズに最初のフランチャイズ店を出店しました。

1961年には、マクドナルド兄弟から商権を買収し、品質と価格、清潔さとサービスにこだわったレイ・クロックの店は、やがて全米から世界に進出し、世界の食文化に大きな変革を与えました。こうして亡くなる1984年までに、世界34か国で8300店舗を開き、生涯で5億ドルの富を築いて、当時「世界一の金持ち」といわれました。1999年には『タイム』誌の企画「20世紀の最も影響力のある100人」にも選出され、1974年にはプロ野球チームサンディエゴ・パドレスのオーナーとなったことも知られています。

わが国では、レイ・クロックの半生記『成功はゴミ箱の中に』が有名です。成功秘話だけではなく、事業拡大の過程で遭遇した廃業の危機なども語られています。座右の銘だという「未熟でいるうちは成長できる。成熟した途端、腐敗が始まる」とか「社長の指示した通りに現場が実行するような会社は、間違いなくつぶれる。現場の人間が、『社長、それは違います』といえる会社でないと誤った方向に進んでしまう。ただし、現場の社員は社長が本質的に何を指示しているかを理解しておくこと。それを現場の判断で組み替えていく」など、示唆に富む言葉がちりばめられ、さすが「アメリカンドリームをなしとげた事業家」と思わせるものがあります。


「1月14日にあった主なできごと」

1898年 ルイス・キャロル死去…イギリスの数学(幾何学)者でありながら、『不思議の国のアリス』や『鏡の国のアリス』 などファンタジーあふれる児童文学作品を著したルイス・キャロル(本名ドジソン)が亡くなりました。 

1950年 ベトナム民主共和国再独立宣言…1945年9月、ホーチミンを大統領とするベトナム民主共和国が独立を宣言し、東南アジア最初の共産主義国家として独立しました。しかし、翌年支配国だったフランスが待ったをかけ、8年にもわたる第1次インドシナ戦争に突入、1949年6月、「ベトナム国」(南ベトナム) がサイゴンを首都に成立しました。この日ホーチミンは、ベトナム国に対抗して「ベトナム民主共和国」(首都ハノイ・北ベトナム)として再独立を宣言したものです。なお1976年、北ベトナムは南ベトナムを吸収、ベトナム民主共和国は「ベトナム社会主義共和国」となって統一をはたし、現在に至っています。

1953年 チトー大統領…独立まもないユーゴスラビアは、この日ユーゴ解放の国民的英雄チトーを大統領に選びました。チトーの指導のもとに、非同盟中立という、社会主義国ばかりでなく資本主義国とも手をつなぐという独自の方針を貫き、6つの共和国をまとめあげました。しかし、1980年チトーの死とともに、共和国間の紛争があちこちでおこり、1991年「クロアチア」「マケドニア」「スロベニア」、1992年「ボスニア・ヘルツェゴビナ」が独立、2003年にユーゴスラビアは、セルビア・モンテネグロとなって独立、2006年には「セルビア」と「モンテネグロ」に分離したため、旧ユーゴスラビアは、「クロアチア」「マケドニア」「スロベニア」「ボスニア・ヘルツェゴビナ」「セルビア」「モンテネグロ」の6か国になっています。
投稿日:2015年01月14日(水) 05:17

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)