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「才能教育」 の鈴木鎮一

今日1月26日は、バイオリンを基にした幼児の才能教育「スズキ・メソッド」を創始し、日本ばかりでなく欧米にまで広めた鈴木鎮一(すずき しんいち)が、1998年に亡くなった日です。

1898年、愛知県名古屋市に日本初のバイオリン工房を設立した鈴木政吉の子として生まれた鎮一は、名古屋商業学校を卒業後、バイオリンを安藤こうに学んだのち、1920年から28年まで、ベルリンでクリングラーに師事しました。

帰国後、独奏者、室内楽奏者として活動しているうち、1935年に〈才能は平等。教育のやり方で誰でも伸びるようになる〉と確信した鈴木は、東京でバイオリンの才能教育に着手しました。

第二次世界大戦後の1946年、拠点を長野県松本市に移すと、1948年に「才能教育研究会」と改め、バイオリンの名曲を教材とした教則本による独自のシステムを考案。門下から豊田耕児、小林武史、小林健次らの俊秀が出たため世間の注目を集め、全国各地に支部が設立され、ブーム現象をひきおこしました。

そして1964年、代表的な10名の児童を連れ、アメリカ合衆国に最初の演奏旅行を行い、アメリカの音楽教育界に衝撃を与えたことで、「スズキ・メソッド」は、またたくまに世界に知られようになりました。これ以降、1994年まで30回の訪米が繰り返されました。

鈴木の著書の 「幼児の才能教育」 から、「スズキ・メソッド」の考え方の一端を紹介すると次の通りです。

「私のおさない弟子のひとりであった豊田耕児君は、満2歳5ヵ月の時に、日本青年館でドヴォルザークの『ユーモレスク』を弾いたので、朝日新聞は彼を天才扱いにして大きく書き立てたことがありました。耕児君が突然そんな能力を発揮したわけでないのを私は良く知っています。耕児君の父はまた私の門下の1人で、毎日バイオリンを弾いており彼はその環境の中で育ち、そして、父からバイオリンを教えられて弾けるようになったので、お父さんの努力でそうなったのです。今では、この『ユーモレスク』は、才能教育をうけた4、5歳の子どもたちは全員、ほとんど全部りっぱに弾けます。こうして1000名にも近い子どもたちが弾くと、もう天才扱いはできないでしょう」

指導さえ正しければ、親の努力次第で、幼い時からこうした能力を発揮することができるということ。さらに子どもたちのすばらしい素質は、バイオリンに限らず、あらゆる能力、すべての教育に通じるものだと断定しています。

鈴木は、1991年イギリスのサンデー・タイムス紙の特集「20世紀をつくった1000人」の中に選ばれ、1997年には専修学校「国際スズキ・メソード音楽院」を開校。また、松本市には「鈴木鎮一記念館」が開館しています。また、ソニーの井深大を、幼児教育に取り組むきっかけを作ったのも鈴木でした。


「1月26日にあった主なできごと」

1788年 囚人の移民…イギリスからの初めてオーストラリア移民団が、ポートジャクソン湾(現シドニー湾)から上陸しました。このうち約半数は、犯罪をおかした囚人たちでした。これにちなんで「オーストラリアの建国記念日」となりました。

1823年 ジェンナー死去…牛痘にかかった人の膿を少年に接種 (種痘) し、天然痘という伝染病を根絶させる基礎を作ったイギリスの外科医ジェンナーが亡くなりました。

1948年 帝銀事件…帝国銀行(現在の三井住友銀行)の東京豊島区にあった椎名町支店で、「近くの家で赤痢が発生したので予防薬を飲んでもらう」と偽って銀行員12名を毒殺、現金16万円などが強奪される事件がおこりました。8月になって画家平沢貞通が逮捕され、死刑が確定しましたが執行されないまま、逮捕から39年後の1987年に獄死しました。
投稿日:2015年01月26日(月) 05:33

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)