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「日本のリンネ」 小野嵐山

今日1月27日は、薬用となる動・植・鉱物を研究する学問=本草(ほんぞう)学者で、わが国最大の本草学書を著した小野嵐山(おの らんざん)が、1810年に亡くなった日です。

1729年、京都に生まれた小野嵐山(本姓・佐伯 蘭山・号)は、幼少のころから草や木のことを調べるのが好きで、中国の本を書き写すほどでした。13歳の時から父の師であり、本草学者として知られた松岡恕庵に入門しますが、2年後に恕庵が亡くなってからは、独学で研究を深めていきました。当時の本草学の参考資料は、中国から伝わった『本草綱目』を元に作られていたため、日本固有の動・植物・鉱物の記載はなく、蘭山は日本の本草書作りを志して、積極的に山や森に分け入りました。

25歳で京都丸太町に私塾を開いて多くの門人を教えるうち、蘭山の本草学は広く知られるようになり、日本全国から集まった門人は、杉田玄白、木村兼葭堂、飯沼慾斎、谷文晁ら1000人を越えるといわれています。しかし、1788年蘭山60歳の時、天明の大火が発生し、私塾は焼かれて門弟たちはちりぢりとなったため、蘭山はこれまでの研究を執筆して過ごしました。

1799年、幕府の招きにより江戸に移って医学館の教授となった嵐山は、本草学を講義するかたわら、幕命を受けて、5回にわたり諸国をめぐる植物の採薬旅行にでかけました。そして、1803年に研究をまとめた著書『本草綱目啓蒙』(48巻)を書き上げました。これは、本草1882種を書きしるす大著で、日本最大の本草学書・江戸時代最大の博物誌といわれています。この書はのちにシーボルトが入手したとき、蘭山を「東洋のリンネ」と絶賛しました。

なお、もうひとつの嵐山の著書『花彙』(3巻)は、桂川甫周により蘭語訳されたものがシーボルトに寄贈され、この仏訳がパリで出版され、日本産植物が初めて海外に紹介されました。


「1月27日にあった主なできごと」

1219年 源実朝死去…鎌倉幕府の第3代将軍で、歌人としても著名な源実朝が、兄の2代将軍頼家の子公暁に暗殺されました。公暁も殺され、源氏の血が絶えてしまいました。

1756年 モーツァルト誕生…ハイドンやベートーべンと並んでウィーン古典派三大巨匠の一人であるオーストリアの作曲家のモーツァルトが生まれました。

1832年 キャロル誕生…イギリスの数学(幾何学)者でありながら『不思議の国のアリス』や『鏡の国のアリス』 などファンタジーあふれる児童文学作品を著したキャロル(本名ドジソン)が生まれました。

1902年 八甲田山遭難事件…日本陸軍の歩兵隊が青森県八甲田山で冬季訓練中に遭難し、訓練への参加者210名中199名が死亡、軍の無謀な訓練が問題になりました。
投稿日:2015年01月27日(火) 05:04

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)