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「スヌーピーの生みの親」 シュルツ

今日2月12日は、『ピーナツ』という空前の人気を誇る漫画を50年にもわたり連載し続け、世界じゅうで愛されるスヌーピー、チャーリー・ブラウン、ウッドストックなどのキャラクターを生み出したアメリカの漫画家シュルツが、2000年に亡くなった日です。

1922年、ミネソタ州ミネアポリスに理髪師の子に生まれたチャールズ・シュルツは、やがて両親がセントポールに理髪店を開いたことで同地で育ちました。幼いころから漫画を描くのが大好きで、将来は漫画家になりたいと夢を見ていました。

高校3年に在学中、両親はシュルツの夢をかなえさせようと、生計に苦しみながらも高額な学費を捻出して、漫画の通信教育学校で学ばせてあげました。シュルツは講座をやり遂げ、いくつかの雑誌社に自分の描いたギャグ漫画の売りこみにかかりました。しかし、世の中は漫画どころではなく、第2次世界大戦が始まっていました。1943年に徴兵され、陸軍二等軍曹としてヨーロッパ戦線に送られましたが、幸い、直接戦闘に参加することはなく1945年に除隊し、アート・インストラクション・スクールに就職しました。(そこでの同僚だったチャーリー・ブラウンの名は、のちに『ピーナッツ』の主人公の名として使われています)

この学校で働きながら積極的に投稿を続けたところ、1947年地元の新聞に『ピーナッツ』の原型となった『リル・フォークス』が掲載されました。漫画配給大手のユナイテッド・フィーチャー・シンジケーツ(現ユナイテッド・メディア)の目にとまり、1950年10月から『ピーナッツ』(「困った人たち」の意)の新聞連載を開始し、本格的なデビューを果たします。以来、亡くなるまで、約50年間にわたる連載が全米8紙で始まることとなりました。

最初こそ掲載紙数は少なかったものの、やがて世界じゅうの新聞が掲載する空前のヒット漫画に成長。シュルツの描く世界は、自身の人生経験をもとに、身近な子どもたちの行動を暖かい目で観察することによって紡ぎだされ、父が床屋であること、赤毛の女の子への片思い、負け続ける野球チーム、毛布を手放せない男の子……等など、ヒーローが持てはやされる超大国アメリカにありながら、いつも弱い者、小さな者の視点を終始くずしません。だからこそ、『ピーナッツ』は、世界じゅうの人々に読まれ、愛され続けているのでしょう。

なお『ピーナッツ』はテレビアニメ化されて、エミー賞やピーボディ賞を受賞。さらにシュルツは、アメリカの漫画家にとって最高の栄誉であるリューベン賞を受賞しています。また、1984年には『ピーナッツ』の掲載紙は2000誌に到達したことでギネスブックに認定され、一時は世界75か国・21言語で3億5500万人以上の読者を持ち、漫画の総発行部数は3億部以上といわれています。


「2月12日にあった主なできごと」

1603年 江戸幕府開かれる…1600年の関が原の戦いで勝利して全国を制覇した徳川家康は、この日征夷大将軍に任命され、江戸幕府が開かれました。

1809年 リンカーン誕生…第16代アメリカ合衆国大統領となり、「奴隷解放の父」と呼ばれたリンカーンが生まれました。

1809年 ダーウィン誕生…生物はみな時間とともに下等なものから高等なものに進化するという「進化論」に、「自然淘汰説」という新しい学説をとなえ、『種の起源』を著したイギリスの博物学者ダーウィンが生まれました。

1912年 清朝の滅亡…中国清朝最期の皇帝である7歳の宣統帝・溥儀(ふぎ)が退位して、初代の太祖から12世297年にわたる清王朝の統治が終わりました。なお、溥儀は20年後、日本軍に満州国皇帝にされ、はかない役割をになわされました。その生涯は1987年公開の映画「ラストエンペラー」に描かれ、作品は第60回アカデミー賞作品賞を受賞しています。

1984年 植村直己消息不明…世界初の5大陸最高峰単独登頂をはたした冒険家の植村直己は、北アメリカ最高峰マッキンリーの初厳冬期登山に成功した翌日、消息を絶ちました。この日は、1941年の誕生日でもありました。

1996年 司馬遼太郎死去…『梟の城』で直木賞を受賞した後、『国盗り物語』『竜馬がゆく』『坂の上の雲』など戦国・幕末・明治を扱った作品を数多く遺した作家の司馬遼太郎が亡くなりました。『街道をゆく』など文明批評家としての評価も高いものがあります。
投稿日:2015年02月12日(木) 05:03

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)