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「幼児教育の先駆」 手島堵庵

今日2月9日は、江戸時代中期、石田梅巌の「心学」に学び、文字に親しまない女性や子どものための教本を作るなど、心学の普及に努めた手島堵庵(てじま とあん)が、1786年に亡くなった日です。

1718年、京都の豪商で『商人夜話草』などの教訓書を著した上河宗義の子として生まれた手島堵庵(本名・上河喬房 通称・近江屋源右衛門)は、幼いころから父の薫陶を受け、18歳で「心学」の開祖として知られる石田梅巌の門に入り、3年後の1738年に、師から開悟されました。

その後は家業に打ちこみましたが、1773年ころ家督を長男の和庵(わあん)に譲ると、梅岩門下の兄弟子たちが相ついで亡くなったために後を継ぎ、請われるままに心学の講学を行いました。その後、死去するまでの30数年間を、心学の普及に専心しました。

隠居した当初は、京都富小路三条(今の中京区内)に五楽舎を建てて講学の場としましたが、門弟の増加にともない、1773年に五条東洞院に修正舎を、1779年西陣に時習舎を、1782年に河原町に明倫舎など8舎をあいついで開設し、これらを中心にその門弟の組織を作りました。その間、『坐談随筆』『児女ねむりさまし』など20種類もの小冊子を著し、心学の精髄を、女性や子どもにもわかるように平易な文や絵入りの七五調の歌などにして表現しました。そのため、梅岩の持っていた社会批判の主張がうすめられて幕府に都合のよいものになりましたが、心学は「町人の哲学」として、いっきに庶民の間に広まりました。とくに、「前訓」という7.8歳〜14.5歳の子どもを集め、日常的な礼儀作法やしつけを指導したことは、わが国初の幼児教育として注目されています。

堵庵は、京都市中にとどまることなく、大坂、大和、丹波などにもでかけ、どこでも数百人の聴衆を集めたといわれ、心学を修めた者は師・梅岩の門弟とみなしました。ところが、未熟なままに指導する者が出てきたために、門弟への心得書や掟書を作成して自重を促しました。弟子には、布施松翁・中井利安・上河淇水・脇坂義堂・上村賢道らたくさんいますが、関東に「参前舎」を開いた中沢道二は特筆される人物で、武家大名家中にも出入りして、武士階級にも心学を普及させました。


「2月9日にあった主なできごと」

1856年 原敬誕生…日本で初めて政党内閣を組織し、爵位の辞退を表明したため平民宰相といわれた明治の政治家原敬が生まれました。なお、原敬は1921年、首相在任中に暗殺されました。

1881年 ドストエフスキー死去…『罪と罰』『カラマーゾフの兄弟』などを著し、トルストイやチェーホフとともに、19世紀後半のロシア文学を代表する文豪で思想家のドストエフスキーが亡くなりました。

1956年 原水爆実験中止決議…第2次世界大戦で広島・長崎に原爆被害を受けたわが国は、1954年南太平洋にあるビキニ環礁で行なわれたアメリカ水爆実験で、第5福竜丸が死の灰をあび、久保山愛吉さんの死亡したビキニ事件がおこりました。これがきっかけとなって、原水爆禁止運動がさかんとなり、国会はこの日原水爆実験中止を決議、アメリカ、ソ連、イギリス政府に実験中止の申し入れをしました。
投稿日:2015年02月09日(月) 05:32

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)