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「社会主義運動の長老」 荒畑寒村

今日3月6日は、社会主義者として明治・大正・昭和3代にわたって活動した荒畑寒村(あらはた かんそん)が、1981年に亡くなった日です。

1887年、神奈川県横浜市の横浜遊郭内で生まれた荒畑寒村は、高等小学校を卒業後に海軍に入隊を志すもののはたせず、外国人商館でボーイとして働きながら、キリスト教の洗礼を受けました。横須賀の造船工場に見習工をしていた1903年、日露開戦気分が高まっていたとき、『万朝報』紙に載っていた幸徳秋水と堺利彦連名の「退社の辞」に感動しました。幸徳と堺が発行する週刊『平民新聞』の非戦論にも共鳴し、社会主義に接近すると、翌年社会主義協会に入会し、横浜に横浜平民結社を作って反戦運動をくりひろげます。

1905年には平民社に入り、書物を売りながら社会主義の宣伝を行う [伝道行商] に取り組みました。足尾鉱毒事件で悩む栃木県谷中村を訪れ、この村を取り潰して遊水地を作ろうとする政府の計画に反対し、住民と共に戦う田中正造と出会うと、これがきっかけとなって『谷中村滅亡史』を出版しました。(この書は、即日発禁となるものの、後世に残る名著といわれています)

その後、社会主義運動は議会を重視する派と直接行動する派に分かれると、荒畑は後者の一人となって行動し、1908年、出獄歓迎会を行っていた社会主義者を一斉に逮捕する「赤旗事件」で検挙され、裁判で有罪となり、重禁錮1年の刑を受けました。しかしこれが結果的に荒畑には幸いし、政府主導による捏造事件(大逆事件・幸徳ら19名が処刑・獄死)を免れました。

1912年からは大杉栄と『近代思想』を創刊し、小説や文芸批評を書くなど活躍し、石川啄木の思想をいち早く紹介したことでも知られています。第1次世界大戦後は、大阪、京都で労働組合活動を指導し、1922年に日本共産党(第一次共産党)の創立に参加すると、成立をコミンテルンに報告するためにモスクワを訪れました。しかし1923年、非合法として党員を一斉検挙する「第一次共産党事件」がおこり、堺利彦とともに検挙され、翌1924年には、荒畑の反対論が押し切られて共産党解散決議がなされました。

こののちは、山川均らと『労農』を創刊し、労農派の中心メンバーとして非共産党マルクス主義の理論づけを行いましたが、1937年に「人民戦線事件」(コミンテルンの反ファシズム統一戦線の呼びかけに呼応して日本で人民戦線の結成を企てたとして労農派系の大学教授・学者グループが一斉に検挙された事件)で、山川ら400名以上とともに検挙され、敗戦まで投獄されてしまいました。

戦後は、日本社会党の結成に参加し、1946年の総選挙で衆議院議員となり、2期務めた後の1949年に社会党を脱党。以後は政治や労働運動の第一戦から身をひいて、主として文筆・評論活動に専念しました。著書には、『寒村自伝』をはじめ『著作集』(10巻)があります。


「3月6日にあった主なできごと」

1537年 豊臣秀吉誕生…戦国時代に足軽百姓の子に生まれながら、織田信長にとりたてられて、全国統一をなしとげた豊臣秀吉が生れたとされる日です。

1948年 菊池寛死去…『屋上の狂人』『父帰る』『恩讐の彼方に』『真珠夫人』などを著した小説家・劇作家・ジャーナリスト、また文芸春秋社を創設して芥川賞・直木賞をはじめた実業家でもある菊池寛が亡くなりました。、

1972年 日の丸飛行隊が金・銀・銅独占…札幌冬季オリンピックのスキー70m級ジャンプで、笠谷が金、金野が銀、青地が銅メダルを獲得。過去の冬期オリンピックで金さえとったことのなかった大ニュースに、3人は「日の丸飛行隊」とよばれ話題を独占しました。
投稿日:2015年03月06日(金) 05:41

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)