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「中国研究」 の竹内好

今日3月3日は、近・現代中国文学研究、特に魯迅研究の第一人者で、伊藤整や野間宏らと国民文学論争を展開するなど、言論界で活躍した文芸評論家の竹内好(たけうち よしみ)が、1977年に亡くなった日です。

1910年、長野県臼田町に生まれた竹内好は、東京で育ち、旧府立一中、大阪高を経て東京帝大支那文学科に入学しました。在学中に中国を旅したことで中国文学研究者となる決意を固め、卒業後の1934年、学友だった武田泰淳らと「中国文学研究会」を結成、会報誌「中国文学月報」の編集責任者となりました。1937年から2年間は北京に留学、1943年には陸軍に召集されて中国大陸で終戦を迎えたことで、独自の中国観を育てました。

敗戦後は、魯迅研究と翻訳に本格的に打ち込み、『現代中国論』(1951年)を刊行。この著書には、[追いつき、追いこせが日本の標語であり、それをささえる『優等生文化』は、(中国の文化に対し) 自分たちは優秀で選ばれたものであり、遅れた劣等生を指導しなければならない。これが「文明の帝国意識」であり、「文明のヒエラルキー」 である。日本ファシズムの根はこの優等生文化にあり、日本文化の構造そのものである] と、鋭く論じました。

いっぽう竹内は、日中国交のない時代に、日中の友好関係を深めるための「中国の会」を作り、雑誌『中国』を発行、1972年に国交回復するまで続けました。その間、慶応大学講師を経て東京都立大人文学部教授になっていましたが、1960年の安保闘争中に、強行採決に抗議して同大教授を辞めています。

その後も魯迅研究を続け、個人訳「魯迅文集」(6巻)を計画していましたが、病に倒れ、門下の人たちの努力で、没後に完成させています。

心の広い、おおらかな人物だったらしく、こんなエピソードが残されています。あるとき、雑誌『中国』の印刷を引き受けていた会社の社長が、竹内から金を借りました。後日、礼状をそえて竹内に返金したところ「私は、まったく忘れていました。せっかくですから、拝領しお礼を申し上げます」とあり、さらにお子さんに適当なものをという一文があって、返したお金がそっくりそえられていた、ということです。


「3月3日の行事」

ひな祭り…旧暦ではこの頃に桃がかわいい花を咲かせるために、「桃の節句」ともいわれ、女の子のすこやかな成長を願って「ひな人形」を飾ります。その起源は、むかし中国で重三(3が並ぶ)の節句と呼ばれていたものが、平安時代に日本に伝わり、貴族のあいだで行なわれていたものが、江戸時代になって一般家庭にも広がるようになったものです。


「3月3日にあった主なできごと」

1847年 ベル誕生…電話を発明し、事業家として成功したベルが生まれました。

1854年 日米和親条約…アメリカのペリー提督が、前年6月につづき7隻の軍艦を率いて再び日本へやってきて、横浜で「日米和親条約」(神奈川条約)を幕府と締結しました。これにより、下田と函館の2港へ入ることを認めたことで、200年以上続いた鎖国が終わりました。

1860年 桜田門外の変…大雪が降るこの日の朝9時ごろ、江戸城外桜田門近くで、江戸城に向かう大老の井伊直弼と約60人の行列に、一発の銃声が響きました。これを合図に水戸浪士ら18名が行列に切り込み、かごの中の井伊の首をはねました。浪士たちは井伊大老による「安政の大獄」で、水戸藩主をはじめ多数の処罰を恨んだ行動でした。
投稿日:2015年03月03日(火) 05:58

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)