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「初の女子金メダリスト」 前畑秀子

今日2月24日は、1936年のベルリンオリンピック200m平泳ぎで、日本の女子で初めて優勝をとげた前畑秀子(まえはた ひでこ)が、1995年に亡くなった日です。

1914年、今の和歌山県橋本市に豆腐店の子として生まれた前畑秀子は、幼いころから家の前を流れる紀ノ川で泳ぎ、小学校5年生のとき女子50m平泳ぎで学童新記録を出しました。高等小学校2年生のときには汎太平洋女子オリンピックに出場して100m平泳ぎで優勝、200m平泳ぎで準優勝します。

卒業後は、家業の豆腐屋を手伝うはずでしたが、前畑の水泳の素質をおしがった学校長や関係者が両親を説得、名古屋の椙山(すぎやま)女学校(今の椙山女学園)に編入して水泳を続けることになりました。同校は校内に新しいプールを作るなど全面的に支援しました。1931年に両親が相ついで亡くなる不幸に、前畑の心はくじけそうになりながらも、毎日2万メートルを泳ぎきるという過酷な練習に耐え抜きました。

やがて、1932年に開催された第10回五輪ロサンゼルス大会の200m平泳ぎに出場、0.1秒差の2位で銀メダルを獲得しました。しかし家庭の事情もあって引退を考えましたが、周囲の大きな期待に現役続行を決意。ふたたび猛練習を重ね、翌1933年9月には200m平泳ぎの世界新記録を樹立しました。

そして3年後の1936年、ナチス体制下のドイツで開かれたベルリンオリンピックの200m平泳ぎに出場。地元ドイツのゲネンゲルとデッドヒートをくりひろげ、1秒差の3分3秒6のオリンピック記録でついに勝利を収め、日本人女性として五輪史上初の金メダルを獲得しました。この試合をラジオで実況したNHKの河西三省アナウンサーは、興奮のあまり途中から「前畑ガンバレ! 前畑ガンバレ!」と20回以上も絶叫する熱涙にむせんだ放送は、当時の日本人を熱狂させ、今も語り草になっています。前畑はその後も世界記録を何度もぬりかえる活躍をし、1937年に結婚、兵頭姓となって引退しました。

その後は、母校の職員として後進の育成に努め、ママさん水泳教室を開くなど一般への普及にも貢献したことで、1990年には文化功労者に選ばれています。


「2月24日にあった主なできごと」

1610年 長谷川等伯死去…『楓図』『松林図屏風』『大涅槃(ねはん)図』などを描き、狩野永徳らとともに安土・桃山時代を代表する画人といわれる長谷川等伯が亡くなりました。

1815年 フルトン死去…1807年、ハドソン川で蒸気船の試運転に成功したアメリカの技術者で発明家のフルトンが亡くなりました。

1873年 キリスト教禁制撤廃…1612年以来禁止されてきたキリスト教を、明治政府も国禁にしてきましたが、この日「キリスト教国禁」の高札を撤去。欧米諸国の非難や、条約改正を妨げる一因をなしていることを知った政府は、キリスト教を黙認する決断をしました。

1933年 国際連盟総会で抗議の退場…日本の国際連盟代表の松岡洋佑ら代表団は、スイスのジュネーブで開かれた臨時総会で、議場からいっせいに退場しました。前年に日本が中国東北部に建設した「満州国」を国際連盟が認めず、軍を引き上げるよう求める勧告案を、賛成42、反対1、棄権1で採決したことに抗議したものです。この総会の後日本は、3月27日、正式に国際連盟を脱退、国際社会の中で孤立する道を歩みはじめました。
投稿日:2015年02月24日(火) 05:25

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)