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最新記事【2015年03月11日】

今日3月11日は、古代ローマ建築を再構成した古典様式を創出し、イタリア盛期ルネサンスを代表する建築家として高く評価されるブラマンテが、1514年に亡くなった日です。

1444年ころ、イタリア中東部ウルビーノ近くに生まれたドナート・ブラマンテ(本名・ダンジェロ)は、はじめは画家を志し、やがてウルビーノ公に仕える建築家のラウラナから建築学を学んだといわれています。1472年にミラノに移って、装飾画家、建築家として活躍するようになり、1479年ころからは、ダ・ピンチと共にミラノ公スフォルツァに仕え、サンタ・マリア聖堂の建築をはじめ、パビア大聖堂の改装では奥行きのない堂宇を透視図法を用いただまし絵で広く見せたといわれています。またサンタ・マリア・グラッツィエ教会(ダ・ピンチの『最後の晩餐』があることで有名)の設計などにも従事しました。

1499年、フランスの侵攻によってミラノを追われたブラマンテは、ローマに移って古代ローマ建築を研究し、教会や邸宅の建築に腕をふるいました。とくにサンタマリア・デラ・パーチェの回廊や、聖ペトロ殉教の地とされていたサン・ピエトロ・イン・モントリオ教会の小神殿は、盛期ルネサンス建築の頂点とされています。

1503年には、教皇ユリウス2世に任じられ、サン・ピエトロ大聖堂の建築主任となり、同時にバチカン宮殿の拡張に着手しました。この工事は、あまりに大規模なものだったために、完成するのは17世紀ですが、ブラマンテの構想した中央に大円蓋を戴くギリシャ十字の集中方式は、ブラマンテの死後に大混乱に陥り、最終的にミケランジェロが決定をくだすまで、幾度も設計変更を繰り返したといわれています。

のちに、建築理論家のセルリオやパラディオは、ブラマンテの作品のみを古典と同等の評価をし、「のちのマニエリスム時代の主題が内包され、同時代のダ・ピンチとともに時代の分水嶺を形づくっている」としています。


「3月11日にあった主なできごと」

1444年 ボッティチェリ誕生…イタリア・ルネッサンス期の画家で『ビーナスの誕生』や『春』を描いた、ボッティチェリが生まれました。

1582年 武田勝頼死去…武田信玄亡き後、織田信長・徳川家康軍と対抗するものの、「長篠の戦い」に敗れたことがきっかけとなって家臣団の統率に失敗した武田勝頼が自害しました。

1955年 フレミング死去…青かびからとりだした物質が大きな殺菌力をもつことを偶然に発見し、ペニシリンと命名して世界の医学者を驚かせたフレミングが亡くなりました。

2011年  東日本大震災…午後2時46分、宮城県牡鹿半島沖130km付近で地震が発生。その規模は、日本観測史上最大のマグニチュード9.0で、最大震度7を記録しました。地震発生から30分後には、東北・関東に巨大津波が到達し、岩手・宮城・福島県を中心に死者・行方不明者約2万名もが犠牲となりました。この津波による漁業、農業等の被害は甚大で、とくに漁業は壊滅的被害を受けました。さらに、東京電力福島第1原子力発電所(福島第1原発)には14mを超える津波が直撃し、3時42分には、13台あった非常用発電機が1台を残しただけですべて止まり、6基の原発のうち1〜5号機の電気がまったく使えなくなって原子炉の温度が上がり続け、水素爆発や炉心溶融(メルトダウン)を引き起こしました。大量の放射線物質が放出されたため、半径20km圏内の住民は避難されることになり、いまだに放射線汚水漏れがつづいていることで、いつ元の生活に戻れるかわからない状況がつづいています。
投稿日:2015年03月11日(水) 05:17

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)