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『逆徒』 の平出修

今日3月17日は、「大逆事件」で幸徳秋水ら被告の弁護を務めた作家・歌人で弁護士の平出修(ひらいで しゅう)が、1914年に亡くなった日です。

1878年、今の新潟市に庄屋の8男として生まれた平出(旧姓・児玉)修は、幼いころは身体が弱かったものの、記憶力に優れ、高等小学校を卒業後、地元の小学校の教師となりました。そのかたわら短歌や評論を雑誌「明星」に発表して活躍するようになります。24歳のときに上京し、明治法律学校(今の明治大学)を優秀な成績で卒業すると、判事検事登用試験に合格して司法官試補に任ぜられました。しかしこれを辞退し、1905年に 神田神保町で弁護士を開業します。いっぽう「明星」の同人として活躍し、「明星」廃刊後は、石川啄木や吉井勇と親交をむすんで、後継誌「スバル」を、経済的に援助しました。

平出修の名が知られるようになるのは、1910年に起きた「大逆事件」で、幸徳秋水ら被告の弁護人を務めてからです。この事件は明治天皇暗殺計画に関与したとして、多くの社会主義者・無政府主義者が逮捕されたもので、翌年死刑24名の判決が下り、幸徳ら19名が処刑されましたが、ほぼ政府がでっち上げた事件といわれています。

当時32歳だった平出の弁護は、被告たちに感動と敬服を与えるものでした。幸徳らに「平出君のあの弁護があった以上、死んでも悔いがない」と、監獄から平出本人や、別の事件で収監されていた堺利彦や大杉栄らに感謝の意を伝える書簡が寄せられたといわれています。

平出は1913年の博文館発行の「太陽」9月号に、大逆事件の裁判を描いた小説『逆徒』を発表したところ、内務省は、これを即日発行禁止処分にしました。さらに平出は、事件を題材にした『畜生道』『計画』などを著して時代に抗し、石川啄木に裁判関係の記録を見せて真相を伝えたことでも知られています。

しかし、残念ながらその翌年、37歳の若さで亡くなってしまいました。その業績が知られるようになるのは敗戦後のことで、『定本平出修』(正続)により再評価されるようになり、今でも、事件の検証と犠牲者の復権への運動は続いています。

なお、オンライン図書館「青空文庫」では、平出の『逆徒』『畜生道』『計画』など8編を読むことができます。


「3月17日にあった主なできごと」

1220年 サマルカンド征服…モンゴルの征服者チンギス・ハンは、インドから黒海に至る交通路を占めていたホラズム・シャー朝の首都サマルカンド(現・ウズベキスタン)を徹底的に破壊し、数十万という人口の3/4を殺害しました。

1836年 ダイムラー誕生…ドイツの技術者で、自動車開発のパイオニアと讃えられているダイムラーが生まれました。

1945年 硫黄島玉砕…2か月ほど前から小笠原諸島の南西にある硫黄島において日本軍とアメリカ軍との間に生じていた戦闘は、この日、アメリカ軍は猛爆を加え、日本軍は守備兵力2万余名のほとんどが戦死、アメリカ軍に島を奪取されてしまいました。このため、アメリカ軍は日本本土空襲の理想的な中間基地を手に入れ、東京大空襲、名古屋大空襲、大阪大空襲を続けざまに実施、日本軍は、勝ち目のほとんどない絶望的な本土戦を余儀なくされました。
投稿日:2015年03月17日(火) 05:37

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)