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「応仁の乱」 と山名宗全

今日3月18日は、10年にもわたる内戦「応仁の乱」の西軍総大将として知られ、「赤入道」と呼ばれた山名宗全(やまな そうぜん)が、1473年に亡くなった日です。

山名氏は、かつて「六分の一衆」といわれ、全国66か国の1/6を領有する権力を持っていました。しかし、1391年山名時熙(ときひろ)のとき、室町3代将軍足利義満の挑発により敗れ(明徳の乱)、わずか伊賀・但馬・備後の3国を領するだけになっていました。1404年、時熙の子として生まれた山名持豊(法名=宗全)は、1435年に跡目を継ぎました。

1441年に持豊は、6代将軍足利義教(よしのり)を殺害した赤松満祐らを討ち、自らの所領のほか播磨・石見・美作・伯耆・備前・因幡など10ヶ国の守護職を回復して再建に成功、幕政にもかかわるようになりました。1442年に出家して宗全と改めると、1450年に、家督と守護職を嫡男の教豊に譲りました。しかし、依然として一族の実権を握り続け、幕府内での地位も不動のままで、その風貌から「赤入道」とよばれて恐れられていました。

やがて幕政をめぐり、親類の細川勝元(宗全の娘が勝元の妻)と対立するようになります。そのきっかけは、1465年に男子を出産した8代将軍足利義政の正室日野富子が、実子の足利義尚を次期将軍職に望み、宗全に接近して支持を得てからでした。いっぽう、すでに決まっていた義政の弟義視を推す細川勝元と対立し、さらに有力守護大名の勢力争いもからんで、1467年に「応仁の乱」が始まりました。

宗全は、出石此隅山城に各国から集結した西軍11万を率いて挙兵し、京都へ進軍しました。いっぽう勝元率いる東軍16万あまりと大激戦となり、一進一退の状況になって勝負がつきません。けっきょく戦乱は、1477年まで約10年間にわたって継続し、京都の街を壊滅させて終わりますが、宗全は戦い半ばに亡くなり、勝元もその2か月後に世を去ったのでした。

なお、西陣織で有名な京都の「西陣」は、宗全の西軍陣地のあったところで、地名に名をとどめています。


「3月18日にあった主なできごと」

724年 柿本人麻呂死去…飛鳥時代の歌人で、山部赤人らとともに歌聖と称えられている柿本人麻呂の正確な生没年は不詳ですが、亡くなったとされる日です。

1584年 イワン雷帝死去…ロシア史上もっとも強力な権力を誇り、中央集権化を推し進めたことで「雷帝」といわれたイワン4世が、1584年に亡くなった日です。

1871年 パリ・コミューン…普仏戦争の敗戦後のこの日、パリに労働者の代表たちによる「社会・人民共和国」いわゆるパリ・コミューンが組織されました。正式成立は3月29日で、5月28日に政府軍の反撃にあってわずか72日間でつぶれてしまいましたが、民衆が蜂起して誕生した革命政府であること、世界初の労働者階級の自治による民主国家で、短期間のうちに実行に移された革新的な政策(教会と国家の政教分離、無償の義務教育、女性参政権など)は、その後の世界に多くの影響をあたえました。
投稿日:2015年03月18日(水) 05:53

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)