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「初の和英辞典」 とヘボン

今日3月13日は、開国したばかりの日本に無料の施療所を開き、ヘボン式ローマ字綴りによるわが国初の和英辞典をこしらえ、「明治学院」を設立したへボンが、1815年に生まれた日です。

アメリカ・ペンシルベニア州ミルトンに生まれたジェームス・カーティス・ヘボンは、熱心なキリスト教徒だった両親の影響を受けて、少年のころから海外にキリスト教を広めたいと考えるようになりました。プリンストン大学を経てペンシルベニア大学医科を卒業すると、1841年に妻とともに伝道の旅に出ました。シンガポール、マカオなどに滞在して布教に努めましたが、妻の病気のために1845年に帰国し、ニューヨークで病院を開業しました。

海外へ布教する志は堅く、1859年に北アメリカ長老教会の宣教医として、妻と共にふたたび旅立ち、開国したばかりの横浜に到着して、成仏寺の本堂に居住しました。近くに無料の施療所を設けて医療活動を開始すると、その誠実な人柄と優秀な治療は大評判になりました。近代医学の歴史は、ここから始まったといわれています。

いっぽう、日本語の研究に取り組み、1867年には、わが国初の和英辞典『和英語林集成』を、眼病を治療してもらった新聞の生みの親といわれる岸田吟香が助力して編さんしました。(岸田はヘボンから伝授された目薬を「精リ水」として発売し、売薬業に専念したこともよく知られています) この辞典の中で使われているローマ字による日本語の綴りが、現在「ヘボン式」といわれているものです。さらにヘボンは、『新約聖書』と『旧約聖書』の翻訳制作委員の責任者となって、1887年までに完成させています。

夫人もまた、1863年に男女共学の「ヘボン塾」を開設しました。のちに同塾は、他のプロテスタント・ミッション各派学校と連携し、日本人教育に大きな貢献をしています。1871年にはヘボン塾の女子部が仲間の宣教師メアリー・キダーによって洋学塾として独立し、同塾は「フェリス女学院」の母体となっています。1887年には、私財を投じて東京・白金に「ヘボン塾」を明治学院として統合させ、ヘボンは、明治学院初代総理に就任しました。

こうして、明治時代の日本文化の発展に大きな貢献をした夫妻は1893年に帰国、1911年にヘボンは、95歳の高齢で亡くなりました。


「3月13日にあった主なできごと」

1578年 上杉謙信死去…戦国時代に、甲斐(山梨)の武田信玄と5度にわたる「川中島の戦い」をともに戦った越後(新潟)の武将の上杉謙信が亡くなりました。

1813年 高村光太郎誕生…彫刻家、画家、評論家として活躍し、詩集『道程』『智恵子抄』などを著した詩人の高村光太郎が生れました。

1988年 青函トンネル開通…青森県と北海道を結ぶ全長53.85kmという世界一長い海底トンネルが開通しました。これにより、津軽海峡を運航していた「青函連絡船」が姿を消すことになりました。
投稿日:2015年03月13日(金) 05:12

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)