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「幼い天皇を抱いて入水した」 平時子

今日3月24日は、平氏の全盛を築いた平清盛の正室として、宗盛、知盛、重衡、徳子(建礼門院)を生み、平家の家長的存在となった平時子(たいらの ときこ)が、1185年の「壇ノ浦の戦い」で、幼い安徳天皇を抱いて海中に身を投じて自害した日です。

1126年、中級貴族の平時信の娘として生まれた平時子は、1145年ころ、清盛の後妻として嫁ぎ、時子が二条天皇の乳母となり清盛が乳父となって、後白河上皇と二条天皇の対立の中で、二条天皇への従属と政治的奉仕の姿勢を示しました。二条天皇が亡くなると、後白河上皇の妃となった異母妹滋子(建春門院)とともに、清盛と後白河上皇との政治的提携強化の媒介となりました。

その間、のちに平氏一門の頭となる3男宗盛、勇ましい戦いで知られる知盛、源平合戦の主力となる重衡、安徳天皇の母となる徳子(建礼門院)を生みました。1168年、清盛とともに出家して二位尼(にいのあま)といわれ、清盛が福原へ移ると八条二品亭を継承します。1171年に徳子が高倉天皇に嫁ぐと、中宮の母として徳子の出産や成長儀式にも深くかかわり、清盛一門と皇室との関係を結ぶ重要な役割を果たします。こうして、高倉天皇没後の1180年、幼い安徳天皇が即位したのでした。

1181年清盛亡き後は、時子が平家の家長的存在として一門の精神的支柱となり、壇ノ浦の戦いで一門が源氏軍に滅ぼされると、安徳天皇に「浪の下にも、きっと都がありますよ」といい聞かせ、幼帝をだいて海中に身を投じて自害したと「平家物語」に記されています。


「3月24日にあった主なできごと」

1185年 平氏の滅亡…一の谷、屋島の戦いに敗れた平氏は、源義経の率いる水軍を、壇ノ浦(山口県・下関市)で迎えうちました。この日の正午近くに戦闘が始まり、平氏は西から東へ流れる潮流にのって有利に戦いを進めていました。ところが、3時過ぎになって潮流が逆になると形勢は逆転。敗戦を覚悟した平氏は、次々に海に身を投げていきました。この「壇ノ浦の戦い」で平氏は滅亡、以後源頼朝の支配が確立しました。

1603年 エリザベス女王死去…「グッド・クィーン・ベス」(すばらしい女王、エリザベス)という愛称で国民からしたわれたエリザベス1世が亡くなりました。

1870年 本多光太郎誕生…明治から昭和にかけて、日本の科学の基礎をきずき、長岡半太郎と並んでその力を世界に示した物理学者本多光太郎が生まれました。

1905年 ベルヌ死去…『80日間世界一周』『海底2万マイル』『十五少年漂流記』などを著し、ウェルズとともにSFの開祖として知られるフランスの作家ベルヌが亡くなりました。
投稿日:2015年03月24日(火) 05:20

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)