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「直江兼続」 に支えられた上杉景勝

今日3月20日は、上杉謙信の養子で、豊臣政権の五大老の一人となるものの、家康と対立した上杉景勝(うえすぎ かげかつ)が、1623年に亡くなった日です。

1555年、越後国魚沼の坂戸城下に、長尾政景と上杉謙信の姉の次男として生まれた上杉景勝は、1564年に父が亡くなったため、春日山城(今の上越市)に入って叔父である謙信の養子となりました。

1578年に謙信が死去すると、謙信が後継者を明確にしなかったため、相続をめぐって景勝は、後北条家の北条氏康7男で謙信の養子となっていた上杉景虎と争うことになりました(御館の乱)。当初は後北条家と同盟していた武田勝頼のバックアップで景虎側に押されていたものの、甲越同盟で武田家と和睦するなど形勢をもり返し、1579年に追いつめられた景虎が自害したことで、1580年に上杉家当主となって越後国の領主となりました。 

しかし「御館の乱」によって軍事力は急速に衰え、乱の鎮圧後の恩賞問題をめぐり、協力してきた新発田重家らが抵抗するなど亀裂がおこりはじめました。そんな折の1581年、織田信長家臣の柴田勝家、佐々成政軍勢の侵攻を受け、さらに翌1582年には越中を柴田軍に制圧(魚津城の戦い)されて、景勝は窮地に立たされてしまいました。幸いにも「本能寺の変」が起こって柴田軍は引き上げ、九死に一生を得たのでした。 

その後景勝は、信濃などに勢力を伸ばし、秀吉に接近して1586年に上洛して臣下となり、1587年には敵対していた新発田重家を討つことに成功して越後を統一しました。翌年には佐渡に出兵して分国化、1590年の小田原征伐への出兵、奥羽一揆を鎮圧したほか、真田昌幸を一時従属下にしたり、1592年の朝鮮出兵、伏見城普請など、豊臣政権下の大名として積極的に行動をしました。その間に景勝は、参議、権中納言に任じられ、1595年には五大老の一人に列せられると、1598年には、秀吉の命により、越後から東北監視のために蒲生氏郷に代わって会津に移り、120万石に加増されました。 

1598年8月に秀吉が亡くなると、景勝は徳川家康と対立し、家康は会津へ上杉討伐に出陣しました。その間、石田三成が挙兵したために西に引き返す家康を景勝は追撃せず、西軍方として東軍方の伊達政宗や最上義光に攻撃をしかけます。しかし「関ヶ原の戦い」で東軍が勝利したことで、景勝は家康に降伏しました。1601年、会津などの領地は没収され、米沢藩30万石に減移封されるものの、大坂の陣には家康側として参陣しました。

なお、景勝の政権基盤は、家老の直江兼続(かねつぐ)に負うところが多く、国政・外交ともに両頭体制で進めながら、家臣団の掌握に努め、検地などを通じて領内農村の支配を見事にやってのけました。そのため、米沢藩の上杉家は、苦難の連続を極めたものの、上杉鷹山らの名君が出て乗り越え、明治維新による廃藩置県が行われるまで続いたのでした。


「3月20日にあった主なできごと」

1727年 ニュートン死去…万有引力の法則、数学の微積分法、光の波動説などを発見したイギリスの物理学者・数学者・天文学者のニュートンが亡くなりました。

1828年 イプセン誕生…『人形の家』『ブラン』『ペール・ギュント』などの戯曲で知られ、「近代演劇の父」といわれるノルウェーの劇作家イプセンが生まれました。

1882年…上野動物園開園…東京上野に、博物館(いまの国立博物館)の付属機関として、日本初の近代的動物園が開園しました。

1995年 地下鉄サリン事件…通勤・通学で混雑する8時ころ、東京の5つの地下鉄の中に猛毒サリンがまかれ、死者12名、重軽症者5500人以上という大惨事がおこりました。犯人は、オウム真理教という宗教団体であることが判明しました
投稿日:2015年03月20日(金) 05:47

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)