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最新記事【2015年03月23日】

今日3月23日は、『赤と黒』『パルムの僧院』『恋愛論』などを著した、フランスの小説家スタンダールが、1842年に亡くなった日です。

1783年、フランス南東部グルノーブルに裕福な弁護士の子に生まれたスタンダール(本名・マリ=アンリ・ベール)は、7歳の時にかわいがってくれた母が亡くなり、厳しい父のもとで育ちますが、父のブルジョア的偽善に嫌気がさして反攻的な少年時代を送りました。

数学に優れていたため、1799年に理工科学校受験のためにパリへ出ましたが、バリの生活になじめず、突然受験をやめて劇作に夢中になり、翌年ナポレオン1世の軍隊に入ると、陸軍少尉となってイタリア遠征に参加しました。亡き母がイタリア系だったこともあり、以前から、イタリアに憧れを持っていたスタンダールは、遠征先の情熱的で生命力あふれる人や土地が気に入り、以後、イタリアを第2の故郷とみなすようになります。

1802年軍を辞めると、パリの輸入問屋に勤めながら、劇作家をめざして文学修行にはげみました。ナポレオンの大陸封鎖令によって海外貿易ができなくなると、1806年、ふたたび陸軍に入って官僚として順調に昇格し、パリの華やかな生活も体験しながら、財務監査官にまで出世しました。その後、オーストリアやドイツに駐在したり、モスクワ遠征にも加わります。1814年ナポレオンが失脚したことで、スタンダールはイタリアのミラノにわたり、フリーのジャーナリストとして活躍しながら、多くの不幸な結果になる恋愛事件をおこしながらも、『イタリア絵画史』を著しています。

ところが、雑誌に書いた評論が問題視され、「フランスのスパイだ」といううわさが広まって失意のうちにパリにもどると、『恋愛論』(1822年)をはじめ、長編小説『赤と黒』(1830年)などを発表します。とくに『赤と黒』は、元神学生による殺人未遂事件を素材に、野心に燃えた貧しい青年ジュリアンの成功と挫折を描きつつ当時の社会の風潮を批判した作品で、恋愛心理を深く掘り下げた代表作です。しかし、当時はほとんど評判になりませんでした。

長い不遇の後、1830年に七月革命が勃発すると、ルイ・フィリップが治める自由主義の立憲王政ができ、自由主義者として知られていたスタンダールに声がかかり、ローマ近郊のチビタべッキア駐在フランス領事になりました。その間1836年から39年まで休暇をとってパリに戻り、ミラノ貴族ファブリスを通して、永遠の平和を追い求めて情熱的に生きる波乱に富んだ生涯を描いた半自叙伝といわれる大作『パルムの僧院』を書きました。

やがて、これらの作品に登場するまざまな人間の鋭い心理分析や簡潔な文体は、「近代小説の先駆者」と讃えられるようになりました。墓碑銘には「ミラノ人 アッリゴ・ベイレ 書いた 愛した 生きた」となっています。


「3月23日にあった主なできごと」

1138年 鎌倉大仏建立開始…幕府の命令で鎌倉高徳院にある大仏の建立が開始され、5年後に完成しました。1252年木造から金銅で作り直され、1495年の津波により大仏殿が壊されて、外にむきだしのままになりました。

1910年 黒沢明誕生…映画『羅生門』でベネチア国際映画祭でグランプリを獲得した他、『七人の侍』『生きる』『椿三十郎』など、数多くの映画作品の監督・脚本を手がけ、国際的にも「世界のクロサワ」と評された黒沢明が生まれました。

1950年 世界気象デー…加盟国間の気象観測通報の調整や、気象観測など気象資料の交換、気象学の研究・教育を行う世界的組織の世界気象機関(WMO)が発足し、日本は1953年に加盟しました。
投稿日:2015年03月23日(月) 05:58

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)