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「立憲君主国」 めざした康有為

今日3月31日は、清朝の末期、政治改革(変法自強説)を唱えた学者で指導者の康有為(こう ゆうい)が、1927年に亡くなった日です。

19世紀末の中国・清朝は、イギリスがアヘン戦争(1840〜42年)以来チベットから四川、雲南をうかがい、ロシアは東北地方に、フランスはベトナムから華南に侵入するなど、ヨーロッパ列強からたび重なる侵略を受けて、植民地化していました。

1858年、中国広東省南海県に、教育者の家系の子として生まれた康有為は、幼ないころから学問に優れ、広東で儒学を学ぶものの満足できず、陽明学や仏教までも独学で学びました。さらに、1882年に北京からの帰途、上海でヨーロッパの書物の翻訳書を買い求めて新しい時代の到来を感じると、1888年に「大同の説」という急進的な改革論を主張し、清の光緒帝に上書しました。当時「洋務論」という西洋の技術のみを導入する考えが李鴻章や曽国藩らの主導のもとで行われていたのに対し、康はこれに異議をとなえ、徹底した内政改革(変法)して国力を高める(自強)を主張しました。そして1890年、郷里に近い広州に私塾を開き、自分の教えを子弟に授けはじめました。

やがて日清戦争がおこり、翌1895年に敗れた清朝は屈辱的な下関条約の締結により、遼東半島と台湾を割譲し、莫大な賠償金に応じようとしていました。ちょうどそのころ康有為は、役人になるための登竜門である科挙に合格しました。康は、中国にも日本の明治維新のような政治改革をめざさなくてはならないと、科挙受験者1200名もの署名を集め、再度光緒帝へ上書(公車上書)し、時の人となりました。

その後も、意見を出しつづけたところ、1898年6月、ついに光緒帝から召し出され、立憲君主国をめざした政治改革(変法自強)の主導権を与えられることになりました。ところが、当時、清王朝の実権を掌握していた西太后ら保守派の反感を買うこととなり、改革はわずか100日あまりで西太后らのクーデターにあって失敗に終わってしまったのでした。(100日維新)。

光緒帝は幽閉され、康の実弟を含む同志6人は逮捕処刑されましたが、康は上海のイギリス領事館に保護され、宮崎滔天らの助力で香港を経由し、日本に亡命しました。

その後、アメリカやインドなどを周遊しながら、中国に立憲君主制を樹立する活動を行いましたが、1911年に辛亥革命が起こって帰国が可能となり、それ以後は拠点を中国国内に移しました。しかし、革命後には、立憲君主制という考えは、孫文ら革命派との間に対立が生まれ、以後、政治の表舞台から姿を消すことになってしまいました。


「3月31日にあった主なできごと」

1727年 ニュートン死去…万有引力を発見したことで有名なイギリスの物理学者・数学者ニュートンが亡くなりました。

1732年 ハイドン誕生…ソナタ形式の確立者として、モーツァルトやベートーベンに大きな影響を与え、104もの交響曲を作ったことで知られる古典派初期の作曲家ハイドンが生まれました。

1889年 エッフェル塔完成…フランス革命100周年を記念したパリ万博のシンボルとして、この日エッフェル塔が完成しました。当時300mという世界一の高さを誇って大人気となるものの、鉄骨むきだしの姿はパリの美しい景観をそこねると賛否両論の声があがりました。

1906年 朝永振一郎誕生…量子力学の研究の中から「超多時間理論」をまとめ、それを発展させた「くりこみ理論」を発明した功績によって、ノーベル物理学賞を受賞した朝永振一郎が生まれました。

1970年 よど号ハイジャック事件…100余名を乗せた日本航空旅客機「よど号」が、富士山上空を飛行中に、赤軍派学生9名にのっとられました。犯人たちは北朝鮮へ亡命したいと要求、よど号は福岡と韓国のソウル金浦空港を経由して北朝鮮の美林飛行場に到着しました。乗員と乗客は福岡とソウルで解放されたものの、身がわりとなった山村新治郎運輸政務次官と犯人グループは北朝鮮に向かい、山村氏はその後帰国、犯人グループは亡命をはたしました。
投稿日:2015年03月31日(火) 05:45

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)