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「バスティーユ襲撃」 とネッケル

今日4月9日は、スイス出身で、革命前夜のフランスで活動した銀行家・政治家のネッケルが、1804年に亡くなった日です。

1732年、ジュネーブに生まれたジャック・ネッケルは、16歳のときパリに出て、父の友人の経営する銀行に入り、のちに「テリュソン・ネッケル銀行」を設立し、経済理論家として知られるようになりました。オーストリアとプロイセンとの間に「七年戦争」(1756〜63年)がおこると、国家への融資や穀物投機で大財政家になります。

1777年には、ルイ16世の財務長官となって赤字財政を穴埋めするために公債政策をとるなど、課税方式の改革を試みました。しかし、アメリカ独立戦争への多額の援助や、公債による利子負担の増加に行き詰まってしまいました。そこで1881年、「国王への財政報告書」を公表して、赤字の原因は、宮廷生活のぜいたくにあるとし、王妃マリー・アントワネットとその寵臣に質素倹約を進言したことから、貴族たちの反発をかって辞職しました。

ところが、後任が財政改革に失敗したことで、1788年8月にネッケルは国務長官として復職します。世論を味方につけて、税金を免除されている聖職者や貴族へ課税しようとするものの、かれらの反対にあい、なんとか1年後に、三部会(聖職者・貴族・平民の代表会議)を開催させることに成功します。しかし、利権を手放すことを拒否した保守派貴族やマリー・アントワネット一派の圧力もあり、1789年7月11日、財務長官職を解任されてしまいました。ネッケル解任の知らせは市民たちを憤激させ、7月14日の民衆によるバスティーユ襲撃・占領のきっかけになりました。

7月16日、民衆の歓呼をあびて再び財務長官に就任するものの、ネッケルの努力によっても財政再建の道は見出せず、革命はさらに激しくなって翌1790年9月に失意のうちに辞職し、小説『デルフィーヌ』の著書で知られる娘のスタール夫人とともに、生まれ故郷のジュネーブにもどったのでした。


「4月9日にあった主なできごと」

752年 奈良大仏開眼…聖武天皇の発案により完成した奈良の大仏の開眼供養会(魂入れの儀式)が行なわれました。1万人の僧がお経読む、盛大な儀式でした。

1865年 南北戦争終結…アメリカ合衆国の南北戦争は、1861年に北部23州と、南部11州の意見の食い違いからはじまりました。黒人のどれいを使うかどうかが主な対立点で、工業の発達していた北部はどれい制廃止、大きな農場主の多い南部はどれい制維持です。1860年にどれい制廃止を叫んだリンカーンが大統領に当選すると、南部は、北部と分れて「アメリカ連邦」を設立して、戦争がはじまりました。当初は南部が優勢でした。1862年リンカーンは「どれい解放令」を出すと形勢逆転、1863年7月のゲッティスバークの戦いで決定的な勝利をした北部が主導権をにぎり、この日南部は北部に降伏し、5年にわたる南北戦争が終結しました。

1976年 武者小路実篤死去…『友情』『愛と死』『真理先生』などの小説、人生賛美あふれる人生論を著した武者小路実篤が亡くなりました。
投稿日:2015年04月09日(木) 05:11

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)