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『銭形平次捕物控』 の野村胡堂

今日4月14日は、テレビなどで人気の「銭形平次」を創りだした作家の野村胡堂(のむら こどう)が、1963 年に亡くなった日です。野村は、新聞人としては本名の長一(おさかず)、作家としては筆名・胡堂、音楽評論家としては筆名・あらえびすを使用し、広い分野で活躍しました。

1882年、今の岩手県紫波町の農家の子として生まれた野村は、1897年に旧盛岡中学に入学し、金田一京助や石川啄木と親交を結び、文学を志すようになります。1907年東京帝国大法科に進学するものの、父親が地域の農家収入増加のために始めた仕事に失敗して破産、その心労で亡くなったため、友人のノート整理や芝居小屋で働くものの授業料が払えず、大学を除籍させられました。

1912年 『報知新聞』を発行する報知社に入社して政治部に配属されると、同紙に人物評論欄「人類館(やかた)」を連載することになり、「胡堂」を筆名にするいっぽう、「あらえびす」の筆名でレコード評論等を執筆しました。新聞人としては、社会部夕刊主任、社会部長、調査部長兼学芸部長、編集局相談役を歴任し、1942年に退社しますが、その間に野村は、初めて新聞に「西洋音楽情報」や「時事川柳」をとりあげて評判をとり、東洋一の新聞売り上げに貢献、「報知に野村あり」といわれました。

いっぽう1931年、文芸春秋発行の『文芸春秋オール読物号』創刊号に捕物帳の執筆を依頼され、銭形平次を主人公にした「金色の処女」を発表。以来、太平洋戦争を挟んで1957年までの26年間に、『銭形平次捕物控』を383編書いたほか、『三万両五十三次』『池田大助捕物日記』などを著しました。特に『銭形〜』は、長谷川一夫主演でシリーズ化され、1949〜61年までの間に18本も映画化され、テレビでも1966〜84年まで大川橋蔵主演で888回放送されたほか、2000年代に入っても演じられています。なお、「銭形平次」は、中国の古典『水滸伝』に出てくる一人物「小石投げの張清」をヒントに投銭名人として創造したとしています。

1949年には、「捕物作家クラブ」が結成されて初代会長に就任、亡くなった年の2月には、私財1億円を基金に、学生等への奨学金の交付を目的とする「野村学芸財団」を設立しました。学資が払えず学業を断念した自身の苦い経験が背景になっています。


「4月14日にあった主なできごと」

1759年 ヘンデル死去…『水上の音楽』『メサイア』などを作曲し、バッハと並びバロック音楽の完成者といわれる、ドイツ生まれでイギリスに帰化した作曲家ヘンデルが亡くなりました。

1867年 高杉晋作死去…江戸時代末期、長州藩に非正規軍「奇兵隊」を組織して幕府軍と戦った志士・高杉晋作が亡くなりました。

1912年 タイタニック沈没…イギリスの豪華客船タイタニック号が、処女航海の途上、カナダ・ニューファンドランド沖で氷山に衝突して沈没、死者1500人以上の惨事となりました。

1917年 ザメンホフ死去…世界でおよそ100万人以上の人が使用していた人工言語、エスペラントの創案者ザメンホフが亡くなりました。
投稿日:2015年04月14日(火) 05:01

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)