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「近代経済学の始祖」 ケインズ

今日4月21日は、『雇用・利子および貨幣の一般理論』など10冊以上もの著書による新しい経済理論により、全世界の人々に大きな影響を与えたイギリスの経済学者ケインズが、1946年に亡くなった日です。

1883年、経済学者の父、ケンブリッジ市長の母の子としてケンブリッジに生まれたジョン・メイナード・ケインズは、イートン校を経て、ケンブリッジ大学のキングス・カレッジで数学を専攻するかたわら、政治・経済から芸術に至るまで幅広い教養を身につけました。1906年に卒業後は2年間インド省の役人を務めると退官し、母校の研究員として学者を志し、経済原論や貨幣論を講義しました。

1911年には「エコノミック・ジャーナル誌」の編集者となり、1915年に同誌の編集長に就任したのち、大蔵省に入りました。1919年のパリ講和会議では、大蔵省首席代表として参加しますが、対独賠償要求がぼう大すぎるとして辞職し、その主張を世に問うために『平和の経済的帰結』を著すと、新しい経済学者としてのケインズの名は、世界じゅうに広まりました。

1923年に著した『貨幣改革論』では、資本主義経済の金本位制を評し、これが必ずしも最も優れた制度でないことを説いたり、1936年の『雇用・利子および貨幣の一般理論』では、失業の問題を扱い、資本家は利潤をいくらでも大きくすることができるが、労働者にはできないことを基に、国家が経済に介入する新しい理論を繰り広げました。そして、貨幣に関する新しい考えをいくつも発表して、国民生活に役立つ経済理論を改めたことで「ケインズ経済学」と呼ばれる体系を作りあげました。アメリカ合衆国のルーズベルトは、1929年からの世界恐慌に際し、この理論を採り入れて恐慌を切りぬけたといわれています。

第2次世界大戦がおこると、ケインズは再び大蔵省に迎えられ、戦時経済政策の指導に当たりながら、戦後の経済の仕組みについて考えをめぐらせ、強制貯金によりインフレを食い止めること、国際通貨を決めて自由に各国が通商できるようにすること、世界銀行を設けて国際投資を行うことなど、独自の計画を立てました。そして、戦後に「国際通貨基金」を設けるのに成功し、その委員長に推されました。

さらに、大きな戦災を受けたイギリス復興のために、みずからアメリカにわたって資金の調達に成功するものの、帰国後に急死してしまいました。


「4月21日にあった主なできごと」

1782年 フレーベル誕生…世界で初めて幼稚園をつくるなど、小学校就学前の子どもたちのための教育に一生を捧げたドイツの教育者フレーベルが生まれました。

1910年 マークトウェーン死去…『トムソーヤの冒険』『ハックルベリーフィンの冒険』『王子とこじき』など、わんぱくな自然児や少年たちの冒険物語を著したアメリカの作家マークトウェーンが亡くなりました。

1951年 民間放送の日…民間放送16社に予備免許がおりて、これまでNHKだけの放送から、さまざまな局の番組を選べるようになりました。放送はこの年の秋、ラジオからスタートしました。
投稿日:2015年04月21日(火) 05:18

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)