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最新記事【2015年04月22日】

今日4月22日は、ベトナム戦争の終結、中国との国交成立に尽力するものの、ウォーターゲート事件により唯一任期中に辞任した第37代アメリカ大統領のニクソンが、1994年に亡くなった日です。

1913年、ロサンゼルス近郊ヨーバリンダの果樹園の子として生まれたリチャード・ミルハウス・ニクソンは、地元のウィッティア大学を卒業後、ノースカロライナのデューク大学法学大学院に進み、1939年に地元にもどって弁護士事務所を開業。第2次世界大戦中は海軍に入り、1946年下院議員選挙に立候補すると、共産主義を激しく非難し、カリフォルニア州共和党議員になります。やがて、国務省のスパイ活動を攻撃するなど、マッカーシーとともに「反共の闘士」としてその名を全米にとどろかせました。1950年には上院へのくら替えを試み、選挙活動期間中に朝鮮戦争が勃発、反共的な風潮が強まったことも追い風となって上院議員に選出されました。

1953年からアイゼンハワー政権で副大統領となり、病気がちな大統領を支えて、2期8年間務めました。1960年の大統領選挙では民主党のケネディに敗れ、1962年のカリフォルニア知事選にも敗れて政界を退いたかにみえました。しかし、その後の6年間、法律事務所に勤めながら党内での力を蓄え、1968年の大統領選挙に共和党から出馬し、ジョンソン政権の副大統領だった民主党の大統領候補ハンフリーを僅差で破って、第37代合衆国大統領に就任しました。

当時のアメリカは泥沼化していたベトナム戦争に対し、ニクソンは公約通り、戦争を終わらせるためにベトナムと交渉を続け、1973年1月に和平協定を成立させてアメリカ軍を撤退させ、反戦的なリベラル層からの支持も獲得しました。いっぽう、冷戦下で対立関係にあった東側に対して、官僚排除、現実主義・秘密主義外交を主とするホワイトハウス主導の融和外交を展開し、大統領補佐官のキッシンジャーとともに、融和的なデタント(緊張緩和)政策を推進、1972年2月にアメリカ大統領としては初の中国を訪問して事実上の外交関係を開始すると、ついでモスクワを訪問し、米ソ中のバランスのとれた外交を展開しました。沖縄の統治権を日本に返還したのも、このころ(1972年5月)のことです。

これらの功績が高い評価を受け、1972年秋の大統領選挙には大勝利を挙げて再選されました。ところが、「ウォーターゲート事件」が発覚。この事件は、1972年6月にワシントンの民主党本部で起きた盗聴侵入事件で、ニクソンが事件のもみけしに関わったことが判明すると、国民の不信感がいっきに高まって、下院の大統領弾劾決議が成立し、ニクソンは1974年8月に辞任、任期途中で辞任に追い込まれた、史上初の大統領になってしまいました。


「4月22日にあった主なできごと」

1451年 イサベル1世誕生…1474年カスティリャ王国の女王となり、夫がアラゴン国王となったのを機に両国を統合し、スペイン王国を建国、初代女王となったイサベルが生まれました。イサベルは、1492年にはイスラム国家グラナダ王国を制圧し、約800年にわたったレコンキスタ(国土回復運動)を完成させました。同年女王の援助したコロンブスが新大陸を発見、スペイン海外発展のキッカケとしたことは有名です。

1500年 ブラジル発見…ポルトガル人のカブラルがブラジルに漂着し、ポルトガルの旗を立てて領土としました。そのため、中南米の国々では、ブラジルだけがポルトガル語を言語としています。

1927年 支払い延期令…この年の3月に倒産や休業したりする銀行が続出、この金融恐慌を鎮めるために、3週間にわたる「支払い延期令」(モラトリアム) を発令、即日実施しました。日本銀行は、2億円の非常貸し出しに印刷が間に合わず、片面白紙の200円札を発行しました。
投稿日:2015年04月22日(水) 05:32

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)