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「長州藩の祖」 毛利輝元

今日4月27日は、豊臣秀吉政権の「五大老」のひとりで、「関ヶ原の戦い」では西軍の総大将をつとめた毛利輝元(もうり てるもと)が、1625年に亡くなった日です。

1553年、毛利隆元の長男として安芸国(広島県)郡山城に生まれた毛利輝元(幼名・幸鶴丸)は、1563年父の急死により11歳で家督を継ぎました。若かったため祖父元就(もとなり)の後見を受け、1565年に元服して11代将軍足利義輝の1字をもらって輝元を名乗りました。翌1566年に祖父とともに敵対する尼子義久を倒し、1571年に元就が亡くなると、叔父の吉川(きっかわ)元春、小早川隆景の補佐を受けて、山陽・山陰10か国中国地方最大の勢力を誇りました。

いっぽう1573年、織田信長に京都を追われた15代将軍足利義昭を保護し、石山本願寺に兵糧を援助するなど、次第に信長と対立するようになります。1577年からは、信長の命を受けた羽柴(のちの豊臣)秀吉と播磨・因幡などで数回にわたる戦いをくり広げました。1588年、信長が本能寺の変で亡くなると、輝元は備中高松で秀吉と講和し、以後秀吉に従って、四国・九州平定に活躍しました。それらの功績により、毛利家は安芸国広島城に移し、9か国112万石の大大名となりました。

秀吉の朝鮮への2度の侵略(文禄・慶長の役)では、総大将となって出陣し、豊臣政権を担う「五大老」のひとりに任ぜられます。秀吉亡きあとの1600年、天下分け目の決戦といわれる「関ヶ原の戦い」では、東軍の徳川家康が豊臣方の石田三成をやぶったことで知られていますが、輝元は西軍の総大将として豊臣秀頼を立てて大坂城にいたため、戦後は、周防・長門(ともに山口県)38万弱に減俸されてしまいました。

その後、輝元は剃髪して宋瑞(そうずい)と号し、1604年に萩に城を築いて移り、家督を幼い秀就(ひでなり)に譲って、これを後見しました。


「4月27日にあった主なできごと」

BC399年 ソクラテス死去…古代ギリシアの哲学者ソクラテスが、若者たちをまどわした罪で死刑の判決を受け、逃亡をうながす友人に『どんな「悪法」でも国の法律でさばかれた以上それにそむくことはできない』と語り、いさぎよく毒を飲んで亡くなった日です。

1917年 世界初の駅伝競走…東京遷都50年を記念して、京都から東京までタスキをつないで走る「駅伝」が世界で初めて行われ、この日から3日間、昼夜休まず続けられました。

1989年 松下幸之助死去…パナソニック(旧松下電器産業)を一代で築き上げ「経営の神様」といわれた松下幸之助が亡くなりました。
投稿日:2015年04月27日(月) 05:11

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)