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「マルクス経済学批判」 の小泉信三

今日5月11日は、『価値論と社会主義』『共産主義批判の常識』などを著し、皇太子明仁親王(今の天皇)の教育係をつとめた経済学者・教育家の小泉信三(こいずみ しんぞう)が、1966年に亡くなった日です。

1888年、東京三田に慶応義塾第2代塾長小泉信吉の長男として生まれた信三は、父が福沢諭吉の門下であったことから、幼少のころは晩年の諭吉の家に同居したこともあったようです。1910年慶応義塾大政治学科を卒業後は母校の教員となり、1912年にヨーロッパへ渡ってイギリス、フランス、ドイツの各大学で経済学や社会思想史を学びました。

1916年に帰国すると、同大学教授となって経済学や社会問題を中心に講義し、1920年に発表した『社会問題研究』で、社会思想家としての名声を確立しました。また、1923年に『価値論と社会主義』を刊行し、共産主義やマルクス経済学に対し、保守的リベラリズムの立場から徹底した批判を加えたことで、マルキストの河上肇、山川均、櫛田民蔵らと大論争を行ったことはよく知られています。小泉は、あくまで経済学の本流はリカードが完成した「古典的経済学」にあることを主張し、1934年には『リカアドオ研究』を著しました。

いっぽう1933年からは、14年間にわたり慶応義塾大塾長となり、戦中・戦後の困難な時代の大学運営をにないました。その間、1人息子の戦死や東京大空襲で火傷による重傷を体験しています。戦後も「共産主義の脅威」を説いて政府の方針を支持し、1949年からは東宮御教育参与となって、皇太子明仁親王の教育係をつとめ、美智子妃との成婚をとりきめ、皇室の近代化に努力しました。

経世的・啓蒙的随筆家としても知られ、1959には文化勲章受章しました。著作は上記以外に『マルクス死後五十年』『福沢諭吉』など多数あり、1949年に著した『共産主義批判の常識』はベストセラーになっています。


「5月11日にあった主なできごと」

1473年 細川勝元死去…室町時代の武将・守護大名で、応仁の乱の東軍総大将として知られた細川勝元が亡くなりました。

1891年 大津事件…日本訪問中のロシア皇太子ニコライ(のちの皇帝ニコライ2世)は琵琶湖見物の帰りに大津市を通ったとき、警備の巡査に突然斬りかかられました。この「大津事件」でロシアとの関係悪化を恐れた政府は、犯人の死刑判決を求めましたが、大審院(現在の最高裁判所)は政府の圧力をはねつけ「無期懲役」の判決を下しました。これにより日本の司法権への信頼が、国際的に高まりました。

1970年 日本人エベレスト初登頂…松浦輝夫と植村直己が日本人初となる世界最高峰エベレストの登頂に成功しました。
投稿日:2015年05月11日(月) 05:09

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)