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『ボバリー夫人』 のフロベール

今日5月8日は、スタンダール、バルザックの後を受け、近代リアリズム文学の頂点をきわめたと評価されるフランスの作家フロベールが、1880年に亡くなった日です。

1821年、フランス北部ルーアンの病院長の子として生まれたギュスターブ・フロベールは、幼少のころから死や病を身近にしたとから、内気で物事を深く考える性格に育ったようです。早熟な子どもで、9歳のころに物語を書きはじめ、12歳のころには劇作家を夢見て脚本を書くほどでした。ルーアン王立中学を経て、パリ大学法学部に入るものの、生涯の持病となる神経病発作をおこして学業を断念し、ルーアン近郊クロワッセにあった父の別荘に移り住みました。以後、旅行やパリへ出かける以外はほとんどこの地で、文学と創作に専念することになります。

1849〜51年、友人とエジプトやトルコなど東方旅行に出かけ、帰国後は友人の忠告や15歳のときに出会った美しい夫人との思い出をヒントに、4年半の歳月をかけて長編小説『ボバリー夫人』を完成させると、1856年10月から3回に分けて、文芸誌に掲載されました。内容は、ボバリーという田舎医者の後妻となったエンマが、あこがれていた結婚生活があまりに退屈なために2人の男に恋して夢を実現させようとするものの、男に捨てられ、夫に内緒の借金の末に追いつめられ、ついに自殺してしまうまでを描いたものでしたが、その内容が風紀を乱すという罪で起訴されてしまいました。

しかし翌年、よく知られている公判中の「ボバリー夫人は私だ」と文学的信念を語って無罪判決を勝ち取り、単行本として出版されるやベストセラーとなり、いちやく有名になりました。そしてこの作品は、厳しい客観主義を重視し、たとえば服毒自殺の場面を描くのにも多くの医学書を読み込むなど、その徹底した写実主義は、わが国の田山花袋や島崎藤村らの自然主義文学に大きな影響を与えました。

その後フロベールは、『感情教育』(1869年)や、未完の長編『ブバールとペキュシェ』に、現実生活をテーマにした作品を書くいっぽう、『サランボー』(1862年)『聖アントアーーヌの誘惑』(1874年)のような、歴史や伝説をテーマにしたロマン主義的幻想を描いた作品を交互に発表しているのは、興味深いものがあります。


「5月8日にあった主なできごと」

1615年 大坂夏の陣…豊臣秀頼の生母で、秀吉亡きあと秀頼の後見人として豊臣家一族を盛りたてた淀君が、家康のはかりごとに屈し、「大坂夏の陣」に敗れて秀頼とともに自害しました。

1794年 ラボアジェ死去…従来の化学理論を次々と正し、実験で証明したことで「近代化学の父」と称されたフランスの科学者ラボアジェが、ある時期に徴税請負人をしていたことがわかり、ギロチンで処刑されました。

1859年 デュナン誕生…負傷兵を敵味方を問わずに助ける「国際赤十字」のしくみをこしらえたスイスの社会事業家デュナンが生れました。この誕生日を記念して、5月8日は「世界赤十字デー」として、1948年から国際的な記念日となっています。
投稿日:2015年05月08日(金) 05:49

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)