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「神聖ローマ帝国」 を創始したオットー大帝

今日5月7日は、ドイツ王国を統一して西ヨーロッパへの影響力を強め、「神聖ローマ帝国」の初代皇帝となったオットー1世(大帝)が、973年に亡くなった日です。

フランク王国を興したカール大帝(742─814年)により、ドイツを含む西ヨーロッパ世界の秩序は安定しましたが、カールの没後に3つの国に分裂し、そのひとつ「東フランク」(ドイツ)は、北欧のノルマン人や東方のマジャール人の侵入を受けて衰退していました。そんな中から、次第に力を伸ばしてきたのが「ザクセン朝」でした。

912年、ザクセン王ハインリヒ1世の子として生まれたオットーは、936年、諸部族をおさえてドイツ国内を統一しかけて亡くなった父王に代わってドイツ国王オットー1世となりました。しかし、それに不満を持つ者も多く、異母兄や弟のハインリヒらの反乱を押さえると、947年には直轄領のザクセンに加えて、ハインリヒを許してバイエルン大公の地位を与えたのをはじめ、フランケン・シュバーベン・ロートリンゲンの全ての大公領をオットー1世とその近親者の掌中に収め、ドイツ王国の基礎を固めました。

いっぽう、マジャール人を徹底的に破ってその後の侵入を不可能にさせ、フランスのロートリンゲン帝国の内紛に介入してドイツとの併合を認めさせた他、デンマーク王国やボヘミヤ公国を傘下にしました。また961年までに、ローマ教皇に近づいて3回にわたるイタリア遠征の末にイタリアをほぼ併合したばかりか、翌962年にはローマ教皇ヨハネス12世から「神聖ローマ帝国皇帝」として戴冠されました。

これにより、皇帝は、教皇の宗教上の権利は認めるかわり、政治上では皇帝に従わせることになったため、ドイツ皇帝がローマ皇帝を受け継ぐことになります。こうして「神聖ローマ帝国」は、現在のドイツ、オーストリア、チェコ、イタリアを中心に、ナポレオン1世につぶされる1806年まで続きました。しかし、皇帝の権力は諸侯の力が大きく伸びることで弱められ、13世紀ころからは名前だけの存在に近いものでした。

なお、オットー1世の晩年はほとんどイタリアで過ごしました。当時東ローマ(ビザンチン)帝国が治めていたベネチアと南イタリアを傘下にできなかったため、ローマ帝国の称号を東ローマ帝国に認めさせるため、息子(オットー2世)の妻に、東ローマ皇帝の王女を迎え入れています。

こうしてオットー1世は、学問と文化を隆盛させた「オットー朝ルネサンス」を、後の時代へ橋渡しするという大きな業績を残したことで「大帝」と称されています。


「5月7日にあった主なできごと」

1615年 真田幸村死去…安土桃山時代から江戸初期の豊臣方の武将で、大坂の陣で大活躍した真田幸村が亡くなりました。

1730年 本居宣長誕生…35年かけて完成させた『古事記伝』など数多くの古代日本を探る研究書を著した、江戸時代中期の国学者本居宣長が生れました。

1824年 第九の初演…ベートーベンの交響曲第九番(合唱付)が、この日オーストリアのウィーンで初めて演奏されました。約80人のオーケストラと100人の合唱によるもので、すでに耳がきこえなくなっていた54歳のベートーベン自身も指揮台にたって、各楽章のテンポを指示しました。熱狂した観客はアンコールをくりかえし、3度目のアンコールを警官に止められたという逸話が残っています。この曲は日本でも「第九」として親しまれ、第4楽章は「歓喜(よろこび)の歌」という名で知られています。

1840年 チャイコフスキー誕生…バレー組曲『白鳥の湖』『くるみ割り人形』『眠りの森の美女』、交響曲『悲愴』、弦楽四重奏曲『アンダンテカンタービレ』などを作曲したロシアの作曲家チャイコフスキーが生まれました。
投稿日:2015年05月07日(木) 11:37

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)