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「ドイツ国民を戦争へかりたてた」 ゲッペルス

今日5月1日は、ナチス・ドイツ率いるヒトラー政権の宣伝大臣をつとめたゲッペルスが、1945年ヒトラー自決の後を追って亡くなった日です。

1897年、ドイツ中西部の中都市ライトに厳格なカトリック市民の子として生まれたヨーゼフ・ゲッベルスは、4歳の時に患った小児マヒの後遺症で左足に障害が残り、第1次世界大戦での徴兵検査で失格となりました。しかし、そのハンディをバネに学業に打ちこみ、1921年にはハイデルベルク大学で哲学博士の学位を取得します。卒業後は、ジャーナリストをめざすもののかなわず、銀行員として働いているとき、ヒトラーと運命的な出会いをして1922年にナチス党へ入党、N・S通信の編集をしたり、当初はヒトラーと対立する党内左派の幹部グレゴール・シュトラッサーの秘書などをしました。

やがてヒトラーの忠実な部下となり、弁舌の才能を買われて1926年にはベルリン管区指導者に抜てきされ、同地区を本拠地としていたドイツ共産党と激しい闘争をくり広げました。いっぽう党機関誌「デア・アングリフ(攻撃)」を創刊して、ユーモアとウィットに富んだパフォーマンスで民衆を魅了し、ナチス党の勢力拡大に大きく貢献します。1929年にはナチス党の中央宣伝責任者となり、12議席だったナチス党の国会議席を、大不況の追い風にものって、1932年に196議席、翌1933年には288議席まで大躍進させました。

こうしてヒトラー内閣が成立すると、新設された国民啓蒙宣伝大臣に任命され、就任早々の1933年5月に、反ナチス、ユダヤ的とされた大量の書物を焼く(焚書)を行って言論弾圧を行ったのを手始めに、新聞・ラジオ・出版物などドイツのマスコミや文化を完全に統制して、ユダヤ人排斥運動を煽りました。さらに、国民をナチスの考えに巻きこんで、1939年に第2次世界大戦をひきおこし、ドイツ国民を戦争にかりたてていきました。

一時は、オランダやフランス、東ヨーロッパ諸国を傘下におさめたもののソ連との戦いに苦戦、演説を行わなくなったヒトラーに代わって徹底抗戦の演説を行ったり、空襲で被災した都市を視察し、救助隊の組織をして国民の賞賛を得るなどしました。スターリングラード大敗北後の1943年2月には、「総力戦」という言葉を使って戦争継続の士気を高める宣伝工作を行いました。

しかし1945年4月30日、連合軍とのベルリン攻防戦のさなか、首相官邸地下壕で自決したヒトラーを見届けると、翌日のこの日、6人の子どもを毒殺、自らは妻とともに拳銃で自殺してヒトラーの後を追ったのでした。


「5月1日はこんな日」

メーデー…世界各地の労働者が、国際的に統一して権利要求と国際連帯の活動を行なう「労働者のお祭りの日」です。


「5月1日にあった主なできごと」

1873年 リビングストン死去…文化の灯から閉ざされたアフリカ原住民たちへ深い愛を注いだ、イギリスの宣教師で探検家のリビングストンが亡くなりました。

1904年 ドボルザーク死去…『スラブ舞曲』や『新世界より』などの作曲で名高いチェコ・ボヘミヤ音楽の巨匠ドボルザークが亡くなりました。

1951年 永井隆死去…長崎で被爆したにもかかわらず、献身的な被爆者治療にあたった医師で『長崎の鐘』に歌われた永井隆が亡くなりました。
投稿日:2015年05月01日(金) 05:11

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)