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「演劇革新運動」と秋田雨雀

今日5月12日は、戯曲をはじめ詩、小説、童話、随筆、評論などさまざまな分野で活躍した文学者秋田雨雀(あきた うじゃく)が、1962年に亡くなった日です。

1883年、今の青森県黒石市に産科医の子として生まれた秋田雨雀(本名・徳三)は、父が眼病で失明してしまったため、子どものころから父の代書をしたり、本を読んであげたりしました。また、聖書や近代日本文学に親しむ幼少期を過ごしたことで、感受性豊かな少年に育っていきました。旧青森第一中学を経て、東京専門学校(のちの早稲田大)英文科に入学すると、在学中に幸徳秋水の演説を聞いて社会主義に関心を持ついっぽう、1904年には詩集『黎明』を自費出版したり、小説を書くようになります。

1907年卒業後は作家として自立する決意をし、翌年「早稲田文学」に発表した小説『同性の恋』が恩師の島村抱月に認められるなど新進作家として話題を呼び、戯曲『記念会前夜』『第一の暁』『埋もれた春』などを次々に発表して劇作家としても注目されるようになりました。

1913年には抱月が創立した劇団「芸術座」に参加して新劇改革に取り組み、翌年沢田正二郎らと美術劇場を設立するものの劇団経営に失敗してしまいました。失意の時に来日した盲目のロシア人作家エロシェンコと親交を結ぶうち相馬黒光と知り合い、新宿中村屋2階での会員制朗読会「土蔵劇場」を主催し、島崎藤村、有島武郎、高村光太郎ら多くの文化人を集め、関東大震災で建物が崩壊するまで開催しました。

その間、「新潮」などに30編ほどの小説を発表しながら、1919年ころからは意識的に童話創作に打ちこみ、『旅人と提灯』『仏陀と戦争』『白鳥の国』など人道主義、反戦思想の色濃い作品を発表しています。やがて社会主義思想にいっそう近づくと、1921年には日本社会主義同盟に加入、1927年にはロシア革命の10周年祭に国賓としてソ連に招かれました。それ以後は、プロレタリア文化運動の中心者として文化運動の中心としての活動に身をささげたことで逮捕されることもありましたが、信念を曲げることはありませんでした。

戦後は、「舞台芸術学院」を設立して院長となり、日本児童文学協会会長として演劇や児童文学の後継者の指導にあたりました。童話作品には、上記の他『東の子供へ』『太陽と花園』などがあり、短編ながら読後にじっくり考えさせる作品が多く、私にとっては『監督判事』が特に印象深いもので、笑いがこみあげてくる小品です。

なお、オンライン図書館「青空文庫」では、秋田雨雀の『三人の百姓』だけを読むことができます。
「青空文庫」さまへ「お願い」 『監督判事』他、もっとたくさん雨雀の作品をとりあげてください。


「5月12日にあった主なできごと」

1534年 織田信長誕生…群雄割拠といわれる戦国時代を走りぬけ、全国統一を目の前にして家臣明智光秀の謀反に倒れた武将・織田信長が生まれました。

1698年 青木昆陽誕生…江戸時代中期の儒学者・蘭学者で、日本じゅうにサツマイモを広めた功績者として有名な青木昆陽が生まれました。

1820年 ナイチンゲール誕生…「クリミヤの天使」「愛の天使」と讃えられ、近代看護学の普及に尽力したナイチンゲールが生まれました。5月12日は国際的にも「ナイチンゲール・デー」 と制定され、1991年から日本でも「看護の日」とされています。

1939年 ノモンハン事件…日本軍が実質的に支配する満州国とモンゴルの国境線にあるノモンハン付近では、両国の主張する国境線の違いから、ときおり小規模な紛争をくりかえしてきました。しかし、この日の紛争は大規模なもので、日本とモンゴル、モンゴルと軍事同盟をむすんでいるソ連軍がからんで長期戦となりました。戦闘は9月まで続き、日本軍は優秀な機械化部隊によるソ連軍の援軍に苦戦し、戦没者数1万8000人ともいわれる敗北をきっしました。
投稿日:2015年05月12日(火) 05:31

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)