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「コロンブス大航海」 とトスカネリ

今日5月15日は、アメリカを発見したコロンブスが、西回り航海を決意させた海図を提供したイタリアの地理学者・数学者・天文学者のトスカネリが、1482年に亡くなった日です。

1397年、イタリア・フィレンツェに医師の息子として生まれたパオロ・トスカネリは、当時学問の中心だったベネチア共和国のパドバ大学で数学と医学を修めました。その間、ドイツの枢機卿で自然科学者だったクザーヌスと親友となり、その後長期間にわたりさまざまなジャンルの最新知識を交換しあいました。

1425年にフィレンツェにもどり、医者をしながら天文学に精通し、いくつもの彗星を観測して、それらの軌道を念入りに計算したことが知られています。大聖堂の建設に協力し、1468年には大聖堂に日時計を設置して子午線を設定したり、1470年に、アジアがヨーロッパの西方にある地図を作成するなど、ルネサンス初期におけるフィレンツェ知識階級の中心人物となりました。

1474年、ポルトガルの友人でリスボン大聖堂司教フェルナンへ送った手紙と海図には、西回りで香料諸島やアジアに行く計画が詳細に記されていたようで、トスカネリが地球球体説を確信していたことがよくわかります。

のちにトスカネリと知り合ったコロンブスは、トスカネリがフェルナンに送付した海図と同じものを手に入れました。この地図が、ローマに来た東方の使節や商人から聞いた話を総合してこしらえたことをトスカネリから聞き出すと、コロンブスは、マルコポーロの旅行記に基づいて黄金の国ジパングをめざしす計画を練り上げました。しかし、トスカネリが地球の直径を小さく見積もってしまったことが、コロンブスのアメリカをアジアと誤認する結果となってしまったようです。


「5月15日にあった主なできごと」

1932年 5・15事件…海軍の若い将校を中心に陸軍や右翼の若者たちが、政党や財閥をたおして軍を中心にした国家権力の強い国をうちたてることをくわだて、首相官邸や警視庁などを襲撃、犬養毅首相を射殺する事件を起こしました。この惨劇により、14年間続いた政党内閣が断絶しました。

1972年 沖縄本土復帰…第2次世界大戦後アメリカに占領されていた沖縄が、26年ぶりに返還され、沖縄県として日本に復帰しました。
投稿日:2015年05月15日(金) 05:40

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)