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「女権論の先駆」 岸田俊子

今日5月25日は、自由民権と女性民権をテーマに、男女平等を主張しつづけた岸田俊子(きしだ としこ)が、1901年に亡くなった日です。

1863年、京都の古着呉服商の子として生まれた岸田俊子は、幼いころから漢学を学び、神童とさわがれるほどでした。1877年に京都府女子師範学校に入学するものの病気のため退学し、1879年山岡鉄舟らの推挙で文事御用掛として宮中に出仕し、明治天皇の皇后に漢学を2年余り講義しています。ところが、現実の社会が中国古代の堯(ぎょう)や舜(しゅん)の政治とあまりにかけはなれていると感じはじめ、1881年に御用掛を辞すと、母とともに各地を遊歴しました。やがて高知で、民権派と知り合ったことで勇気をえた俊子は、まもなく立志社に加わり、国会開設を求め民主主義をめざす「自由民権運動」に参加しました。

1882年大阪・道頓堀で「婦女の道」の演説を行うと評判となり、やがて西日本を中心に全国をめぐって女権の拡張、男女平等の演説を行ったことで、福田(景山)英子ら多くの女性が民権運動に参加する契機をつくりました。ところが、翌1883年大津で行った「箱入娘」の演説は、政治演説とみなされて集会条例違反で拘引・留置され罰金刑を受けています。

1884年、高知出身で自由党副総理の中島信行と結婚すると、同年星亨主宰の新聞『自由の灯』に論説「同胞姉妹に告ぐ」を発表、男尊女卑は野蛮なもの、男女関係は愛憐をもってすべしと強調しました。1886年からは、巌本善治主宰『女学雑誌』誌上を、言論活動の主要な場とするいっぽう、自宅で塾を開きました。1887年にはフェリス英和女学校名誉教授に就任して「孟子」などを講義したり、学生監督として女子教育に力をそそぎました。

1894年、イタリア公使となった夫に同行して内助の功を発揮するものの、夫妻共に肺結核にかかったため翌年帰国、闘病生活を送りました。この間のいきさつは、「湘煙」のペンネームを使用した『湘煙日記』に詳しく記されています。『善悪の岐(ちまた)』『山間の名花』などの小説も残し、1900年に亡くなった夫の後を追うように、翌年38歳の若さで亡くなりました。


「5月25日にあった主なできごと」

1336年 楠正成死去…鎌倉時代末期から南北朝時代にかけて活躍した河内の武将で、後醍醐天皇による「建武の新政」の立役者だった楠木正成が亡くなりました。この日摂津国湊川(現在の神戸)で、九州から東上した足利尊氏の軍勢が、対立する楠正成・新田義貞軍と衝突(湊川の戦い)し、尊氏軍が勝利して正成は自害しました。

1892年 チトー誕生…6つの共和国(スロベニア・クロアチア・ボスニア=ヘルツェゴビナ・モンテネグロ・セルビア・マケドニア)からなる「ユーゴスラビア」という国がありましたが、この国を一つにまとめあげ、たくましい社会主義連邦共和国に育てあげた政治家チトーが生まれました。

1910年 大逆事件…長野県の社会主義者・宮下太吉ら4名が明治天皇暗殺計画が発覚したとして、この日逮捕されました。この事件を口実に社会主義者、無政府主義者、思想家に対して取り調べや家宅捜索が行なわれ、20数人を逮捕。この政府主導の弾圧は「大逆事件」と呼ばれ、幸徳秋水ら12名が処刑されました。
投稿日:2015年05月25日(月) 05:23

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)