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「乾山焼」 の尾形乾山

今日6月2日は、芸術性の高い陶器から、庶民に親しまれた暖かみのある絵付け食器まで、幅広い作品で知られる江戸時代中期の陶工・絵師の尾形乾山が、1743年に亡くなった日です。

1663年、京都の富裕な呉服商・雁金屋の三男として生まれた尾形乾山(本名・権平)は、6歳年上の兄に光琳がいて、尾形家が本阿弥家と縁戚にあったため、幼少のころから兄弟で蒔絵の模作を試みていたといわれています。

1687年25歳のとき父が亡くなり、3つの大きな屋敷などの財産を光琳と折半で譲り受けると、遊び人で派手好きの光琳が放蕩に費やしたのに対し、乾山は古今にわたる和漢の書を愛し、内省的な隠とん生活を好んだことは、後年の芸術の骨子となったといわれています。1689年に、仁和寺の南に習静堂を構え、参禅や学問に励み、近所に野々村仁清が住んでいたことがきっかけになって、仁清から本格的に陶芸を学びました。

やがて1699年、京の北西にある鳴滝に山荘を構え、窯を開きました。その地が都の乾(いぬい=北西)にあたるたることから「乾山」と号し、作品に記しました。この鳴滝窯時代は、兄の光琳も協力して、当初の絵付けは光琳が行い、乾山が得意の詩賛や歌賛と乾山銘をほどこす作品の多くは、特に評価の高いものです。

1712年、今の京都市二条通寺町に移り、多くの作品を手がけました。1716年に光琳の死去という打撃を受けて芸術的な作品は少なくなるものの、自由で暖かみのある絵付けや洗練された中に素朴な味わいのある食器は、「乾山焼」とか「二条乾山」として、京都庶民に愛されました。

晩年はめぐまれず、1731年69歳の時に江戸に下りましたが、輪王寺宮公寛法親王の知遇を受け、寛永寺領の入谷に住みました。また1737年9月から初冬にかけて下野国佐野で陶芸の指導を行ったことが知られています。その後江戸に戻り、81歳で亡くなりました。

絵の代表作としては、『八つ橋画賛』『十二月花鳥歌絵色紙』などがあり、和歌にもすぐれ、辞世作は「うきことも うれしき折も 過ぎぬれば ただあけくれの 夢ばかりなる」でした。


「6月2日にあった主なできごと」

1582年 本能寺の変…天下統一を目前にした織田信長が、家臣明智光秀の謀反により自刃した事件「本能寺の変」がおきました。

1716年 尾形光琳死去…江戸時代の中期、町人文化が栄えた元禄期を代表する画家で『紅白梅図屏風』『燕子花図屏風』などを描いた尾形光琳が亡くなりました。

1882年 ガリバルディ死去…フランスやオーストリアなどに支配され、たくさんの国に分れていたイタリアを、イタリア王国として統一させたガリバルディが亡くなりました。

1953年 エリザベス2世戴冠…1952年にイギリス国王に即位したエリザベス2世女王の戴冠式が、ロンドンのウェストミンスター寺院で行なわれました。女王パレードには、100万人以上の人が歓迎したと伝えられています。元首の地位は名義的なものであっても、イギリス連邦の団結や各国との親善の役割には大きなものがあります。
投稿日:2015年06月02日(火) 05:24

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)