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生田万の乱

今日6月1日は、「大塩平八郎の乱」に刺激されて代官所の不正に抗議して蜂起した、江戸時代後期の国学者生田万(いくた よろず)が、1837年に亡くなった日です。

1801年、上野国(群馬県)館林藩士の家に生まれた生田万(本名・国秀 万=号)は、藩校で儒学を学び、平田篤胤の著書を読んで国学を志し、1824年に江戸に出て篤胤の門人となりました。篤胤に評価されて塾頭になり、いちじは師の代講をするほどでした。やがて郷里にもどって私塾を開くいっぽう、当時25万両という借金をかかえていた藩へ、「岩に結ぶ苔」という藩政改革論を提出しました。ところが、藩の怒りにふれて退けられたばかりか、藩を追放されてしまいました。

浪人生活ののち、1831年には許されて太田に私塾を開き、1836年には篤胤の門人の招きで越後国柏崎へ移ると「桜園塾」を開いて国学を教えました。この年と翌年の越後は天災がつづき、農民たちは飢饉に苦しんでいました。ところが、桑名藩の柏崎代官所は救済策を施さないため、万は再三にわたり代官所へ嘆願をします。ところが、受け入れるどころかこれを無視し、米の騰貴を図りました。

飢饉は「天保の大飢饉」といわれる全国的なもので、1837年2月に大坂で大塩平八郎が救民を掲げて「大塩平八郎の乱」をおこすと、各地で呼応する一揆や武装蜂起がおこりました。これに影響を受けた生田も、6人の同志を集めて「天命を奉じて国賊を誅す」「忠臣を集め暴墟を征す」の2旗を掲げて、桑名藩の柏崎代官所に乱入するものの、負傷して自刃しました(生田万の乱)。万の妻も翌2日、2児を絞殺して自害したと伝えられています。また、「生田万の乱」は、「大塩平八郎の乱」とともに、幕府が「天保の改革」を進める契機となった事件でもありました。

著書には『大学階梯外篇』『良薬苦口』『古学二千文』などがあり、生田万の学問や行動は、本居宣長、平田篤胤の学風を一歩進め、「江戸末期の社会的不正に対し行動をもって抗議する」幕末の討幕運動の先駆けとみることができます。


「6月1日にあった主なできごと」

BC195年 劉邦死去…秦(中国)を滅ぼし、項羽をやぶって前漢王朝の初代皇帝となった劉邦が亡くなりました。前漢王朝は、長安を都に200年も栄えました。

1864年 洪秀全死去…アヘン戦争でイギリスに敗北して威信を失った清(中国)南部に、平等な世界を理想とする「太平天国」の建設をめざし、14年間にわたり革命運動をおこした洪秀全が亡くなりました。

1968年 ヘレンケラー死去…生後19か月で目・耳・口の機能を失いながらも、著述家、社会福祉事業家として活躍したヘレンケラーが亡くなりました。
投稿日:2015年06月01日(月) 05:05

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)