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「毛利宗家」を守った 小早川隆景

今日6月12日は、兄の吉川元春とともに毛利家の発展に尽くし、秀吉の五大老の一人に任じられた小早川隆景(こばやかわ たかかげ)が、1597年に亡くなった日です。

1533年、毛利元就の三男として生まれた隆景(幼名・徳寿丸)は、1544年に竹原小早川家を継いで当主となると、1550年には沼田小早川家を継いで、二家に分かれていた小早川家を統一しました。次兄の吉川元春とともに、毛利両川といわれ、毛利宗家(父元就・長兄隆元・甥輝元)を、中国地方の大半と北九州の一部を領する大大名に発展させました。

隆景は広島の三原地方に本拠をおき、瀬戸内海に強力な水軍を編成するなど、主として山陽地域の統治を担当しました。1582年、毛利氏が秀吉軍に備中(岡山西部)高松城を攻められたとき、毛利外交の責任者として講和に活躍します。秀吉の信頼をえると、1585年に伊予国(愛媛)を与えられ、1587年には筑前・筑後と肥前の一部(福岡・佐賀)に移封されました。

その後、秀吉に五大老の一人として重用されると、1591年には秀吉の養子である羽柴秀俊を養子に迎えて小早川秀秋とし、秀吉との関係をより密接なものにしました。翌年の文禄の役では朝鮮に出陣し、主戦といわれる「碧蹄館の戦い」で明軍の大将を撃退して講和につなげるなど、めざましい活躍をしました。1595年には、秀吉の大老に就任しましたが、まもなく家督を養子秀秋に譲って、三原に隠遁しました。

学を好み禅を修める優れた洞察力ある人物で、毛利家の将来に心をくだきながら2年後に亡くなりました。


「6月12日にあった主なできごと」

1827年 シュピリ誕生…『アルプスの少女ハイジ』を著したスイスの女流児童文学者シュピリが生まれました。

1942年 アンネの日記…ナチスのユダヤ人迫害により、ドイツのフランクフルトからのがれ、オランダのアムステルダムの隠れ家で暮していたアンネ・フランクは、両親からこの日の誕生日に日記帳をプレゼントされました。密告されて一家は捕えられ、アンネは1945年15歳でユダヤ人収容所で病死しますが、1944年8月までのおよそ2年間綴られた日記は、戦争の恐ろしさと、つらい生活の中でもけなげに成長してゆく内容に、今も世界じゅうの人たちを感動させています。
投稿日:2015年06月12日(金) 05:26

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)