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「ダーウィンに挑んだ」 今西錦司

今日6月15日は、わが国の霊長類研究の創始者で、「すみわけ理論」を提唱し、独自の進化論を主張した生態学者・文化人類学者・登山家の今西錦司(いまにし きんじ)が、1992年に亡くなった日です。

1902年、京都・西陣の大きな網元の長男に生まれた今西錦司は、子どものころからリーダーシップのある少年に育ち、旧第三高校をへて、1928年に京都帝国大学農学部を卒業後に同大学の人文科学研究所員となり、1959年に同研究所教授になりました。1965年に京都大学退官後は岡山大学教授、岐阜大学学長を務めました。

今西の生涯にわたる未知なものへの探究は、登山家・探検家としてのものと、生態学者としてのものがあり、両者は切り離すことができないほど密接に結びついていました。 登山家・探検家としては京都大白頭山遠征隊の隊長をつとめるなど、多くの初登頂を含む1552もの山に登りました。海外にも未踏峰を求めて、カラコルムK2、マナスル、中国大興安嶺などにも調査隊隊長として挑戦しています。

生態学者としては、日本アルプスにおける森林帯の垂直分布、渓流の水生昆虫の生態の研究が知られているほか、特筆されるのは、「すみ分け理論」を提唱したことでしょう。これは鴨川に住む4種類のカゲロウが、流れの速さによって住む場所が違うことをヒントに、数多くの生き物が自然の中で「すみ分け」ていると考えたことから出発しました。この研究は生涯にわたって続き、ダーウィンの自然や生物同志が競争することによって進化してきたとする進化論に対し、進化は生活しやすいように生物自らが変化し、種全体がいっしょに変化するというもので、自然のありのままの受容と認知の重要性を「自然学」として主張しました。この考え方は、 近年になって注目されはじめています。

また今西は、京都大理学部と人文科学研究所に日本の霊長類研究所の創設に力をつくし、幸島や高崎山で野生ニホンザル群の餌付けに成功させたり、野生ニホンザルやチンパンジーの研究を進めるなど、さまざまな学術調査を行いながら、川喜多二郎、梅棹忠夫、中尾佐助ら日本を代表する生態学者を育てました。

主著に、『生物の世界』『私の進化論』『主体性の進化論』などがあり、1979年には文化勲章を受賞しています。


「6月15日にあった主なできごと」

774年 空海誕生…平安時代に中国から真言密教をもたらして真言宗を開き、高野山に金剛峰寺を建てた空海が生まれました。空海は弘法大師の名で親しまれています。

1215年 マグナカルタ成立…イギリス憲法の聖書ともいわれる「マグナカルタ」(大憲章)に、横暴だったジョン王が署名し、王も法に従うという原則が定められ、イギリス立憲政治の出発点となりました。

1242年 北条泰時死去…鎌倉時代の3代目の執権となり、、武士の初めての法律『御成敗式目』(貞永式目)をこしらえ、16代続いた執権政治の基礎をきずいた北条泰時が亡くなりました。

1769年 佐藤信淵誕生…明治維新の100年近く前に生まれながら、国学、儒学、蘭学、動・植物、天文、地理、測量など広い学問に通じ、明治以降の日本のすがたを明確に予想した学者佐藤信淵が生まれました。
投稿日:2015年06月15日(月) 05:43

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)