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『道二翁道話』 の中沢道二

今日6月11日は、石田梅岩の創始した「石門心学」(心学)を、全国的に広めた中沢道二(なかざわ どうに)が、1803年に亡くなった日です。

1725年、京都西陣の織屋に生まれた中沢道二は、亀屋久兵衛と称して家業を継いだのち、40歳ごろから手島堵庵に師事して「心学」を学びました。心学は、江戸時代中期の思想家石田梅岩(1685〜1744年)を開祖とする、実践的な教えに特色のある倫理学の一派で、京都の町民を中心に普及していました。弟子の手島堵庵に引き継がれると、文字に親しまない女性や子どものための教本を作るなど老若男女にも広まりましたが、地域的な拡がりは、大坂、大和、丹波あたりまででした。

堵庵の命を受け、関東に下り精力的に教化活動を繰り広げた道二は、1779年に日本橋に学舎「参前舎」を創設し、ここを拠点に広範囲にわたる布教活動に専心しました。五畿七道27か国を遊説、弟子たちとともに心学の普及に努めるうち、一般民衆への道話の講釈と心学者たちの修業の場である「心学道場」(心学講舎)は21舎となりました。

やがて、江戸幕府の老中松平定信をはじめ、大名から武士階級にも大きな広がりをみせはじめ、幕末の最盛期には、全国に180か所以上もの心学講舎があったといわれるほど、全国に普及していきました。

こんなエピソードが残されています。

道二がある名家へ講説に出かけた時、そこの主人は心を尽くして歓待し、 十代半ばの上品な娘に茶を点てさせたり琴を弾かせたりして接待しました。道二がその教養をほめると、主人は得意になって 「書画も学ばせています」と話すと、道二は 「あんま術も学ばせているか」とたずねると、主人は 「なぜそんな技術を身につける必要がありましょう」 といいます。道二は 「その考えは誤っている。女は嫁いだら舅や姑に仕えなくてはならない。 だからあんまの技も、茶花琴にも劣らず大切。 いたずらに高尚な芸術を誇って、孝養の道を欠くようなことがあってはならない」 と語ると、主人はこの言葉を聞いて大いに恥じたということです。

主著は『道二翁道話』で、6編15巻あり、初編は1795年、続編は没後まで続き、1824年に完結しました。御用学問と非難されるいっぽう、明治以後もしばしば刊行されたのは、それだけ支持する人々が多かったためでしょう。なお、「石門心学」は、陽明学にも「心学」という用語を使っていることから、それとの混同を避けるために「石門心学」が使われていましたが、いつしか「心学」が一般的呼称になっています。


「6月11日にあった主なできごと」

1873年 わが国初の銀行…「第一国立銀行」が日本橋兜町に創立し、初代頭取に渋沢栄一が就任、立派な西洋建築は、東京の名所となりました。その後国立銀行は、1879年までに全国各府県に153行が設立されていきました。

1899年 川端康成誕生…『伊豆の踊り子』『雪国』 など、「生」の悲しさや日本の美しさを香り高い文章で書きつづった功績により、日本人初のノーベル文学賞を贈られた作家・川端康成が生まれました。

1916年 ジーン・ウェブスター死去…手紙形式で書かれた名作『あしながおじさん』などを著した、アメリカの女流作家ジーン・ウェブスターが亡くなりました。
投稿日:2015年06月11日(木) 05:11

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)