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最新記事【2015年06月16日】

今日6月16日は、世界初の弾道ミサイル「V2号」や、人工衛星「エクスプローラ1号」、アポロ計画用サターンV型ロケットを開発したブラウンが、1977年に亡くなった日です。

1912年、ドイツ東部ポーゼン近郊のビルジッツ(現ポーランド)にある貴族の家に生まれたウェルナー・ブラウンは、幼いころから天文や宇宙への関心が強く、ベルヌやウェルズのSF宇宙小説を愛読する少年でした。特に1923年、オーベルトが著した『惑星空間へのロケット』に刺激されて宇宙ロケット研究を志し、1930年ベルリン工科大学に入学すると、ドイツ宇宙旅行協会に入会してオーベルトの助手として液体燃料ロケットエンジンの実験にたずさわりました。

1934年ベルリン大学で「液体ロケットに関する研究」で博士号を取得すると、ドイツ陸軍に採用され、ロケット「V2号」開発チームのリーダーとなりました。「V2号」は、もともと宇宙旅行用に構想されたものでしたが、ヒトラーの命令で兵器として使用され、第二次世界大戦中にロンドン空爆に使用された弾道ミサイルは、1942年に完成した「V2号」でした。これを知ったブラウンは、「ロケットは完璧に動作したが、間違った惑星に着地した」と同僚に伝えたといわれています。

兵器よりも宇宙ロケット開発を願っていたブラウンは、大戦後まもなく主要な開発メンバーらと共にアメリカに渡ると、米軍のロケット開発に関わり、1950年からは米陸軍ミサイル開発部隊を指導するようになりました。1955年にアメリカの市民権を得て帰化しましたが、アメリカは、あまりブラウンを重用しませんでした。ところが、ソ連の人工衛星「スプートニク」に先を越されたことから、ブラウンと開発チームがかりだされ、1958年にアメリカ初の人工衛星「エクスプローラ1号」の打ち上げに成功、翌1959年には「初の有人飛行」も成功させました。

ブラウンは、NASA(アメリカ航空宇宙局)の発足とともに、1960年から1970年まで、ロケット開発の中心「マーシャル宇宙飛行センター」の初代所長を務めました。その間、アポロ計画用サターンV型ロケット開発を指導、1969年初めて人類を月に送りこんだアポロ11号の成功に貢献するなど、米ソ宇宙開発競争において、米側の中心的役割を果たしました。さらにブラウンは、有人火星飛行を計画しましたが、アメリカの宇宙開発予算の削減に伴い計画は受け入れられず、失意のうちに1972年、NASAを去ったのでした。


「6月16日にあった主なできごと」

756年 楊貴妃死去…中国・唐の時代、玄宗皇帝の妃となりましたが、安禄山の反乱(安史の乱)を引き起こし「傾国の美女」と呼ばれた楊貴妃が亡くなりました。

1699年 河村瑞賢死去…江戸の大火事の際、木曾の木材を買い占めて巨富を得、事業家として成功した河村瑞賢が亡くなりました。

1924年 三民主義…現代中国の生みの親ともいわれる孫文は、民族・民権・民生主義を総合する「三民主義」の革命理論の講演をし、孫文指導下の国民運動は最高潮に盛り上がりました。

1963年 女性初の宇宙旅行…ソ連(ロシア)の宇宙飛行士テレシコワは、ボストーク6号で地球を48周、70時間以上の宇宙飛行に成功しました。
投稿日:2015年06月16日(火) 05:57

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)