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「アメリカ経済主義の推進者」 ヘイ

今日7月1日は、リンカーン大統領の秘書、マッキンリー、セオドア・ルーズベルト両大統領の国務長官を務めた政治家・外交官・ジャーナリストのヘイが、1905年に亡くなった日です。

1838年、インディアナ州の辺境の地セーレムに医師の子として生まれたジョン・ヘイは、少年のころから詩人になることを志しますが、1858年にブラウン大学を卒業後、政治や文化の発達していたイリノイ州スプリングフィールドにあるおじの法律事務所で働くことになりました。まもなく、この地で弁護士として働くリンカーンと知り合い、秘書となったことがヘイの人生を変えました。

1861年にリンカーンが大統領に就任すると、南部11州が連邦を脱退して南北戦争がはじまりました。1865年に戦争が終了してわずか5日後にリンカーンが狙撃されたとき、ヘイはその場に居あわせるなど、ヘイの日記や南北戦争中に著した書籍は、歴史の基礎的資料とされています。また、1890年には同僚の秘書ジョン・ニコレイと共に10巻に及ぶリンカーンの伝記を著したことでも知られています。

リンカーン暗殺後のヘイは、外交官となり、パリ、ウィーン、マドリードの公使館で書記官を務め、1870年からは、「ニューヨーク・トリビューン」紙の副編集長となって文筆をふるい、1979年から3年間は国務次官を務めています。やがて1897年、友人だったマッキンリーが大統領に就任すると、駐イギリス大使、1898年には国務長官に任命され、米西戦争の講和条約であるパリ条約の締結に尽力しました。

マッキンリーが亡くなり、セオドア・ルーズベルトが大統領職を引き継いだ後も国務長官として、中米政策に重要な役割を果たしました。その間、1899年には「ヘイ覚書」によって、日清戦争で日本に敗れた中国に対し、「門戸開放政策主義」(門戸開放・機会均等・領土保全というヘイの三原則)をヨーロッパ列強に提唱したり、1901年にはワシントン駐在のコロンビア代理大使との間に、運河地帯を100年契約で賃貸する「ヘイ・エルラン条約」を調印してパナマ運河建設の道を開くなど、アメリカの経済主義的膨張政策の原型をこしらえました。


「7月1日にあった主なできごと」

770年 阿倍仲麻呂死去…奈良時代に遣唐留学生として中国(唐)にわたり唐朝の高官となりましたが、日本への帰国を試みるものの果たせなかった歌人・阿倍仲麻呂が、唐で亡くなったといわれる日です。

1787年 寛政の改革…江戸幕府の老中松平定信は、8代将軍徳川吉宗の「享保の改革」にならい、この日から「寛政の改革」を行い、武芸や学問の奨励、緊縮財政、風紀取締りによる幕府財政の安定化をめざしました。一連の改革は、田沼意次が推進した商業重視政策を否定したものでした。

1997年 香港返還…アヘン戦争を終結させるため、清とイギリス間で結ばれた南京条約(1842年)により、イギリスに割譲された香港でしたが、イギリスから中国へ返還され、特別行政区となりました。
投稿日:2015年07月01日(水) 05:38

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)