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最新記事【2015年07月02日】

今日7月2日は、イギリスの植民地大臣としてボーア戦争を遂行し、イギリス帝国の強化と拡大に努めた社会主義的政治家チェンバレンが、1914年に亡くなった日です。

1836年、ロンドン郊外カンバーウェルに製靴業者の子として生まれたジョゼフ・チェンバレンは、ロンドンのカレッジを卒業後、1854年から父が出資していたバーミンガムの金物工場の経営にあたりました。そして、労働者に評判の良い大企業に育て上げ、資産を築きました。市会議員をつとめた後の1874年にバーミンガム市長になり、道路や衛生設備の改良、ガス・水道の市営化、スラム街の撤去など社会主義的政策を行って名声をあげました。

1876年に下院議員に当選して国政に移り、自由党内に「新急進派」と呼ばれる派閥を形成して社会改革を唱えました。1880年の総選挙で自由党の勝利に貢献したことで党首グラッドストンに認められ、通商大臣や自治大臣を歴任しました。しかし、1886年にグラッドストンが推進するアイルランド自治法案が大英帝国の結合を弱めるとして離党し、有志と自由統一党を結成し、その指導者となりました。

1895年に成立した保守党政権のソールズベリー内閣では、保守党と自由統一党が連立政権を組んで植民地大臣として入閣、1902年のバルフォア内閣でも植民地大臣となり、イギリス帝国の強化と拡大に努め、南アフリカに植民地を広げることをめざしてボーア戦争を遂行しました。

また、世界にちらばる植民地の団結をはかるため植民地代表者会議を開いて、関税の再導入という保護貿易を主張しました。しかし、閣内や党内の自由貿易派と対立を深めたことで、1903年には大臣を辞任し、保護貿易を実現するための運動を続けましたが、1906年に脳卒中で倒れ、政界を引退しました。

なお、ロカルノ条約でヨーロッパの緊張緩和に貢献してノーベル平和賞を受賞したオースティン・チェンバレンは長男、ナチス・ドイツへの融和政策で知られるネビル・チェンバレンは次男です。


「7月2日にあった主なできごと」

1338年 新田義貞死去…鎌倉時代末期・南北朝時代に活躍した武将で、後に室町幕府を開いた足利尊氏と対立した新田義貞が亡くなりました。

1778年 ルソー死去…フランス革命の理論的指導者といわれる思想家ルソーが亡くなりました。

1863年 薩英戦争…前年8月に、薩摩藩は横浜に近い生麦村で、島津久光の行列の先頭を乗馬で横切った英国人を殺傷する事件(生麦事件)をおこしたのに対し、英国は犯人の処罰と賠償金を要求。拒否した薩摩藩へこの日、イギリス東洋艦隊7隻が鹿児島湾へ侵入し、砲撃戦を開始しました。

1950年 金閣寺炎上…この日の早朝に、21歳の大学生が金閣寺へ放火し国宝の舎利殿を全焼させました。犯人が病弱で、重度の吃音者だったこと、金閣寺の見習い僧侶だったことなどがわかり、三島由紀夫 は『金閣寺』を、水上勉は『五番町夕霧楼』『金閣炎上』を著すなど文学作品が話題となりました。

1961年 ヘミングウェイ死去…『日はまた昇る』『武器よさらば』『老人と海』などを著したアメリカの小説家ヘミングウェイが亡くなりました。
投稿日:2015年07月02日(木) 05:38

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)