児童英語・図書出版社 創業者のこだわりブログ Top >  今日はこんな日 >  「農本主義」 の権藤成卿

「農本主義」 の権藤成卿

今日7月9日は、官治主義、資本主義、都会主義を批判し、農村を基盤とした「原始自治」を唱えた思想家・制度学者の権藤成卿(ごんどう せいきょう)が、1937年に亡くなった日です。

1868年、元久留米藩医・国学者の長男として、今の福岡県久留米市に生まれた権藤成卿(本名・善太郎)は、1874年大阪にある商店の丁稚となって商売を学んで家にもどると、実家にあった漢籍のほとんどを読破したのち上京、二松学舎で漢学を学んで中退後の1886年、中国へ旅行しました。

この旅行をきっかけに、数回にわたって朝鮮や満州(中国東北部)を転々としながら、独学で独自の学識を蓄積しました。1902年に上京して内田良平らの黒竜会に参加して、対露開戦、日韓合邦を主張し、李容九、黄興、孫文らとアジア革命のために交遊しながら、日満蒙を結ぶ「東亜連邦」を構想し、1908年には「東亜月報」を刊行しました。

翌1909年、主著となる『皇民自治本義』を著し、「社稷(しゃしょく)国家」(農村自治を根本とした国家)を説き、官治主義、資本主義、都会主義を排撃し、アジア固有の「原始自治」への回帰を訴えました。さらにその思想をもとに1920年に自治学会を設立すると、人民の自然的自治のうえに政治が施行される農本自治主義を掲げて、昭和期の「農本主義思想家」として大きな影響力を持ちました。

その後権藤は、1931年に橘孝三郎らとともに日本村治派同盟を結成して活躍するいっぽう、2冊の著書 (『自治民範』(1927年)・『農村自救論』(1932年)) が、「血盟団事件」や「五・一五事件」のファッシズム思想背景という嫌疑により逮捕されました。しかし、権藤の真意は軍国主義を嫌うもので、1937年の「盧溝橋事件(日華事変)」のぼっ発を病床で耳にしたとき、「武弁、ついに国をあやまるか」と絶句したといわれています。


「7月9日にあった主なできごと」

1854年 日章旗を船印に決定…徳川幕府は、「日の丸」を日本船の印と決定しました。やがてこれが慣習化されるようになり、正式に国旗となったのは1999年「国旗国歌法」の公布以降です。

1922年 森鴎外死去…『舞姫』『山椒太夫』『高瀬舟』など明治・大正期に活躍した文学者で「文豪」といわれる森鴎外が亡くなりました。
投稿日:2015年07月09日(木) 05:17

 <  前の記事 「国民的画家」 東山魁夷  |  トップページ  |  次の記事 「日英同盟」 と林董  > 

トラックバック

このエントリーのトラックバックURL:
http://mt.izumishobo.co.jp/mt-tb.cgi/3628

コメントを投稿

(いままで、ここでコメントしたことがないときは、コメントを表示する前にこのブログのオーナーの承認が必要になることがあります。承認されるまではコメントは表示されません。そのときはしばらく待ってください。)

         

2015年07月

      1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31  

月別アーカイブ

 

Mobile

児童英語・図書出版社 社長のこだわりプログmobile ver. http://mt.izumishobo.co.jp/plugins/Mobile/mtm.cgi?b=6

プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)