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「王朝文化の祖」 嵯峨天皇

今日7月15日は、「蔵人所」や「検非違使」を新設し、律令体制の手直しにつとめるなど、宮廷文化を開花させた嵯峨天皇(さがてんのう)が、842年に亡くなった日です。

786年、のちに平安京(京都)に都を移す桓武天皇と皇后藤原乙牟漏(おとむろ)の第二皇子として生まれた嵯峨天皇(名・神野)は、同母の兄平城(へいぜい)天皇の即位に伴って、806年に皇太弟とされましたが、平城天皇が病気となったことから、809年、第52代天皇の嵯峨天皇として即位します。

翌810年に平城天皇が上皇として復位を試みた「薬子の変」が発生すると、坂上田村麻呂らの兵を発して制圧し、皇太子を高岳(たかおか)親王から、異母弟の大伴親王(のちの淳和天皇)に変えました。さらに、宮中の事務や機密文書を取り扱う役所「蔵人(くろうど)所」、都の警察の役割をになう「検非違使(けびいし)」を新設します。また、唐(中国)の文化を採り入れて、朝廷の儀式や制度を唐風にし、818年には「弘仁格式」を発布して朝廷の儀式をまとめて「内裏式」としました。内宴、朝覲(ちょうきん=謁見)、行幸などの優雅な年中行事を発達させ、「令義解(りょうのぎげ)という養老律令の注釈書を作らせたり、『凌雲集』『文華秀麗集』『経国集』などの勅撰詩集を作らせました。天皇自身も漢詩人であり、唐風書道の名手として、空海、橘逸勢(はやなり)とともに「三筆」とされています。

自ら政治を行った824年までの14年間に加え、上皇として淳和天皇らを支え、死去するまでの30余年間は、嵯峨天皇(上皇)の権威のもとに、古代史ではまれにみる政治的安定を実現し、宮廷文化を開花させました。

しかし、皇子や皇女が50人以上も生まれ、これをすべて親王とすることは財政的に無理だったため、嵯峨天皇(上皇)の子で源姓を賜ったものとその子孫を「嵯峨源氏」といい、以後源氏賜姓の先例となりました。なお、紫式部『源氏物語』の主人公光源氏の実在モデルの一人といわれる源融(とおる)も嵯峨天皇の皇子の一人です。


「7月15日にあった主なできごと」

1099年 第1回十字軍…ローマ教皇ウルバヌス2世の呼びかけに応じた第1回十字軍が、聖地エルサレムを占領しました。

1606年 レンブラント誕生…『夜警』『フローラ』『自画像』など数々の名画を描き、オランダ最大の画家といわれるレンブラントが生まれました。

1871年 国木田独歩誕生…『武蔵野』『牛肉と馬鈴薯』『源叔父』などの著作をはじめ、詩人、ジャーナリスト、編集者として明治期に活躍した国木田独歩が生まれました。

1924年 黒田清輝死去…『湖畔』『読書』などの作品を描き、わが国の洋画の発展に大きな功績を残した画家の黒田清輝が亡くなりました。
投稿日:2015年07月15日(水) 05:55

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)