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「賤ヶ岳・七本槍の筆頭」 福島正則

今日7月13日は、安土・桃山・江戸時代初期の大名として秀吉、家康に仕えた福島正則(ふくしま まさのり)が、1624年に亡くなった日です。

1561年、桶屋を営んでいたとされる福島正信の長男として今の愛知県あま市で生まれた福島正則(幼名・市松)は、母が豊臣秀吉の叔母(大政所の妹)だったため、幼少のころから小姓として秀吉に仕え、1578年に播磨三木城の攻撃で敵兵を討ち取って初陣を飾りました。

1582年、信長の弔い合戦といわれる「山崎の戦い」では、勝龍寺城を攻撃するなど軍功をあげ、翌1583年の織田勢力を二分する柴田勝家との激戦「賤ヶ岳の戦い」では、一番槍・一番首として敵将・拝郷家嘉を討ち取るという大功をあげました。そのため賤ヶ岳の七本槍の筆頭と讃えられ、他の加藤清正・加藤嘉明・脇坂安治・平野長泰・糟屋武則・片桐且元が3千石だったのに対し、別格の5千石を与えられました。

その後、1584年の小牧・長久手の戦い、1585年の紀伊雑賀攻撃で畠中城攻め、1587年の九州平定でも功をあげて伊予国今治11万石の大名に封ぜられました。1590年の 小田原征伐では、織田信雄の軍として、韮山城攻撃の先鋒を務めました。1592年からの朝鮮侵略「文禄の役」では、五番隊の主将として京畿道の攻略にあたり、帰陣後の1595年、秀吉によって豊臣秀次が切腹させられるという大事件が起こると、そのあとを受けて、正則は尾張国清洲に24万石の所領を与えられたのは、いかに正則が秀吉に重視されていたかがうかがわれます。

1598年8月に秀吉が死去すると、武勇に優れた正則は文治派の石田三成らといっきに対立し、1599年の前田利家の死後、朋友の加藤清正らと共に三成を襲撃する事件を起こしました。このときは徳川家康に慰留され、その経緯から家康に尽くすこと誓い、1600年の「関ヶ原の戦い」では先鋒をつとめる貢献をしました。その功により、安芸・備後国49.8万石を与えられ、広島城主となりました。

ところが、1619年、幕府に無断で城の石垣を修理したことをとがめられて、信濃国川中島4.5万石へ領地替えをいいわたされてしまいました。これは、徳川家の秀吉系大名取り潰し策のもとに行われたといわれています。正則はその後5年で亡くなりますが、子孫にはわずか9000石が残されただけでした。


「7月13日にあった主なできごと」

BC100年 シーザー誕生…古代ローマ帝国の基礎を築いた軍人政治家で、「ガリア戦記」を著わしたシーザーが生まれました。

1128年 藤原清衡死去…平安時代後期の武将で奥州藤原氏をおこし、平泉に「金色堂」を建てるなど「北方の王者」といわれた藤原清衡が亡くなりました。

1930年 サッカー初のW杯で国交断絶…サッカーのワールドカップの第1回大会がこの日はじまり、13か国の選手がウルグアイの首都モンテビデオで熱戦をくりひろげました。勝ち進んだのはウルグアイとアルゼンチンで、ウルグアイが4対2で逆転優勝しました。ところが、アルゼンチンの首都ブエノスアイレスで暴動がおき、ウルグアイの領事館が襲われて国交断絶にまで発展しました。
投稿日:2015年07月13日(月) 05:31

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)