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「ミスター合理化」 の土光敏夫

今日8月4日は、石川島重工業・石川島播磨重工業社長、東芝の社長・会長を歴任し、経団連会長や臨調答申でも、らつ腕をふるった土光敏夫(どこう としお)が、1988年に亡くなった日です。

1896年、今の岡山市北区に肥料仲買商の子として生まれた土光敏夫は、旧関西中学を経て、1920年東京高等工業学校機械科を卒業後、東京石川島造船所(現・IHI)に入社し、1922年、タービン製造技術を学ぶためスイスへ留学しました。1936年、芝浦製作所と共同出資による石川島芝浦タービン(現・IHIシバウラ)が設立されると技術部長として出向し、1946年に社長に就任しました。当時の猛烈な働きぶりから「土光タービン」とあだ名されるほどでした。

1950年、石川島重工業の社長に就任して再建に取り組み、徹底した合理化で経営再建に成功すると、1960年には播磨造船所と合併した石川島播磨重工業(現IHI)社長になりました。1965年には、やはり経営難に陥っていた東京芝浦電気(東芝)の再建を依頼され、翌1966年に再建に成功しましたが、東芝の体質を変えるまでには至らず、1972年に会長に退きます。

1974年、日本経済団体連合会(経団連)第4代会長に就任すると、以後、2期6年にわたって財界総理としてオイルショック後の日本経済の安定化や企業の政治献金の改善などに尽力し、「行動する経団連」を実践しました。また、1981年には、鈴木善幸首相、中曽根康弘行政管理庁長官に請われ、第二次臨時行政調査(臨調)会長に就任すると、2年後の1983年には行財政改革答申をまとめ、「増税なき財政再建」「三公社(国鉄・専売公社・電電公社)民営化」などの路線を打ち出して、行政改革の先頭に立ちました。

謹厳実直な人柄と、追随を許さない抜群の行動力から、「ミスター合理化」「荒法師」「行革の鬼」などの異名をもらいながら、次々と困難な仕事を引き受けて実績を残すいっぽう、その質素な生活ぶりから「めざしの土光さん」といわれ、経済界ばかりか政界からも、戦後もっとも尊敬された人物のひとりでした。

なお、土光の母親は、女子教育の必要性を感じ、1941年にほとんど独力で横浜市鶴見区に「橘学苑」を開校した女傑で、土光は母の歿後、橘学苑の第4・7代目の校長を務めたことでも知られています。


「8月4日にあった主なできごと」

1830年 吉田松陰誕生…佐久間象山らに学び、1857年に私塾「松下村塾」を主宰し、1859年の「安政の大獄」で刑死した長州藩士の吉田松陰が生まれました。松陰は、幕末から明治にかけて活躍した高杉晋作、久坂玄瑞、伊藤博文らおよそ80人の門下生を育てました。

1875年 アンデルセン死去…『マッチうりの少女』『みにくいあひるの子』『人魚姫』など150編以上の童話を生み出し、「童話の王様」と讃えられるアンデルセンが亡くなりました。

1944年 アンネ一家逮捕される…『アンネの日記』を書いたドイツ系ユダヤ人アンネ・フランクの一家が、オランダ・アムステルダムの隠れ家に潜行生活中、ナチスの秘密警察ゲシュタボに逮捕されました。

1996年 渥美清死去…人情あふれる車寅次郎(フーテンの寅)を、27年間48作品にわたって演じた国民的スターの渥美清が亡くなりました。
投稿日:2015年08月04日(火) 05:50

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)