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「失意の鎌倉将軍」 九条頼経

今日8月11日は、鎌倉幕府の第4代征夷大将軍でありながら、執権の北条家に失脚させられた九条頼経(くじょう よりつね)が、1256年に亡くなった日です。

1218年、関白の九条道家と西園寺公経の娘倫子の3男として生まれた九条頼経(幼名・三寅[みとら])は、1219年に3代将軍源実朝が2代将軍頼家の子公暁に暗殺されて源氏の正統が絶えたため、頼朝の遠縁(祖母が頼朝の姪)だったために鎌倉に迎えられ、鎌倉へ下向から数年間は北条政子が尼将軍として三寅を後見して将軍の代行をしました。その後、承久の乱をはさんで6年後の1225年、政子が亡くなると3代執権北条泰時は、元服した三寅に頼経を名のらせ、翌年鎌倉幕府の第4代将軍に任じました。

1230年、頼家の娘で15歳上の竹御所と結婚しましたが、幕府の実権は北条義時・政子姉弟が築いた執権北条氏が握っており、1234年に竹御所が亡くなると、頼経は名目のみの将軍となっていきました。ところが、頼経が長期間在職するうち、御家人との間に親密な関係もできて、義時の次男朝時を筆頭に反執権政治勢力が頼経に接近するなど、幕府内での権力基盤を少しずつ強めていきました。これに危機感をおぼえた第4代執権の北条経時は、1244年に将軍職を頼経の子の頼嗣に譲らせ、第5代将軍としました。

頼経は、翌1245年出家して行賀を名乗りますが、その後も鎌倉にとどまって「大殿」とよばれて、隠然たる勢力を持ち続けました。そのためか、経時の急死で5代執権となった北条時頼を倒そうとする名越光時らの計画に、頼経が加わったという疑いがかけられ、1246年に時頼により京都に送還されてしまいました。

その後、当時の御家人の中で最大勢力となっていた頼経を推す三浦光村と、時頼を中心とする北条家との対立が決定的となり、1247年時頼は先制攻撃をかけて三浦一族を滅亡させ、同時に頼嗣も京都へ送還して、九条家との縁を絶ちました。

こうして、頼経以降の鎌倉幕府の将軍は、政治的な実権を握ることがありませんでしたが、幕府の御家人たちの主人はあくまで、頼朝とその妻政子直系の「鎌倉殿」で、執権の北条家がどんなに強力な権力を持っても、この流れは幕府の滅亡までつづき、しばしば権力闘争に影響を与えてきたのでした。


「8月11日にあった主なできごと」

1338年 室町幕府誕生…足利尊氏は、北朝の光明天皇から征夷大将軍に任命され、室町幕府を開きました。いっぽう、後醍醐天皇は吉野に逃れて南朝を建てて、その正当性を主張していました。そのため、政権としての室町幕府はなかなか安定せず、3代将軍足利義満の時代になって、ようやく機構的な体裁が整いました。

1892年 吉川英治誕生…『宮本武蔵』『新・平家物語』『新書太閤記』など人生を深く見つめる大衆文芸作品を数多く生み出して、国民的作家として高く評価されている吉川英治が生まれました。

1919年 カーネギー死去…「鋼鉄王」とよばれた大実業家であり、公共図書館や大学、カーネギーホールの建設など公益事業に力をそそいだ社会事業家カーネギーが亡くなりました。
投稿日:2015年08月11日(火) 05:53

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)