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「慶安事件」 を首謀した丸橋忠弥

今日8月10日は、江戸時代前期の浪人で、由井正雪らと江戸幕府の転覆を図った「慶安事件」をおこした丸橋忠弥(まるばし ちゅうや)が、1651年に磔(はりつけ)となった日です。

丸橋忠弥の出自については、土佐国(高知)に長宗我部盛親の側室の子として生まれたとする説、上州(群馬)出身とする説、出羽国出身とする説などがあります。下級武士として、いちじ加賀前田家の家臣だったようで、やがて江戸へ出てきました。

友人の紹介で、江戸の御茶ノ水に宝蔵院流槍術の道場を開いていたところ、1651年に軍学者由井正雪と出会って幕府を倒す陰謀に加わり、江戸城襲撃の首謀者となって準備を進めました。ところが、一味に加わっていた奥村八左衛門の密告により、7月23日幕府に計画が露見して捕縛され、8月のこの日、品川の「鈴ヶ森」で処刑されたのでした。

この事件は、幕府の転覆をねらう一連の計画 (丸橋忠弥が江戸城を焼討し、その混乱で江戸城から出て来た老中以下の幕閣や旗本を討ち取る。同時に京都で由比正雪が、大坂で金井半兵衛が決起する) のもとで未遂に終った「慶安事件」として知られ、実録本『油井根元記』や講談などで、早くから事件の内容が知られていました。しかし、事件の性質上、浄瑠璃や歌舞伎など劇化にあたっては、丸橋忠弥の名は「角屋秋夜」「丸谷弥忠太」などの名が使われています。

とくに有名になったのは、明治に入った1870年に初演された河竹黙阿弥の歌舞伎『樟紀(くすのき)流花見幕張』(慶安太平記)で、丸橋忠弥に関しては、江戸城攻撃に備え掘の深さを測量するため中間に変装するものの、来かかった老中松平伊豆守に見とがめられる(江戸城掘端の場)。もうひとつは、謀反を隠すため、わざと酒浸りの日々を送っていたときの話です。舅の弓師藤九郎は、借金の返済と妻お節との離縁を迫るため、困った忠弥は舅に真相を話し納得させようとするものの驚いた藤九郎に訴えられ、道場の外で「火事だ」と騒がれ、見に飛び出してきたところを大勢の捕り手に囲まれた忠弥は抵抗むなしく捕縛される(忠弥内捕物の場)として描かれ、本名が定着しました。


「8月10日にあった主なできごと」

1232年 御成敗(貞永)式目制定…鎌倉時代の執権北条泰時は、武士の権利、義務、罰則などを51か条に定めた日本で初めての武士の法律『御成敗式目』を制定しました。その後長い間、武家社会に関するとり決めの手本となりました。

1693年 井原西鶴死去…江戸時代に「浮世草子」とよばれる庶民のための小説を数多く著した井原西鶴が亡くなりました。

1830年 大久保利通誕生…明治維新をおしすすめた西郷隆盛、木戸孝允とともに「維新の三傑」とよばれ、明治新政府の土台をささえた指導者大久保利通が生まれました。
投稿日:2015年08月10日(月) 05:38

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)