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「水墨画初期の巨匠」 明兆

今日8月20日は、日本最大の涅槃図 『大涅槃図』など、室町時代前・中期に活躍した臨済宗の画僧明兆(みんちょう)が、1431年に亡くなった日です。

1352年、淡路島に生まれた明兆(本名・吉山)は、少年のころに近所にあった安国寺住職の大道一以の弟子となり、やがて大道に付きそって京都・東福寺(臨済宗東福寺派の大本山)に入り、禅僧になりました。

やがて大道が東福寺28世になると、民兆は殿司(でんす)という大道具・小道具などの飾りつけを担う役職についたため「兆殿司」と親しまれ、僧としては終生この仕事にたずさわりました。しかし、禅僧として高位の位を望まれたものの、画を好む明兆はこれを拒否して、初の寺院専属の画家となりました。

その画風は、細筆・太筆を駆使した勢いの激しいもので、色彩も濃いものが多く、強烈な印象を残すものでした。この手法は中国の北宋や元の時代に水墨画と結びついて盛んになり、禅宗の宗旨説明のために、大画面で強烈に訴える表現にふさわしく、「道釈画」と呼ばて、日本絵画史に特筆されています。

京都駅近くにあって紅葉の名所として名高い東福寺には、民兆のたくさんの代表作(ほとんどが重要文化財)が残り、たて15m・よこ8mという日本最大の涅槃(ねはん)図 『大涅槃図』をはじめ、『聖一国師像』『四十八祖像』『寒山拾得図』『達磨・蝦蟇(がま)・鉄拐(てっかい)図』などがあります。『五百羅漢図』も見もので、50幅のうち45幅は東福寺、2幅は東京・根津美術館が所蔵しています。

後年の明兆は、仏画以外に純粋な水墨画にも筆を染め、『白衣観音図』(熱海・MOA美術館蔵)や『渓陰小築図』(京都・南禅寺蔵 国宝)などの作品があります。

東福寺の仏画工房は以前から影響力を持っていましたが、明兆以後は東福寺系以外の寺院からも注文が来るようになり、禅宗系仏画の中心的存在となっていきました。工房は明兆没後も一之(いっし)や赤脚子、霊彩らに受け継がれ、如拙、周文の系統を引く相国寺派に対し、東福寺派とよばれています。


「8月20日にあった主なできごと」

1241年 藤原定家死去…「小倉百人一首」の編さんや、万葉集、古今集と並び日本の3大和歌集の一つ「新古今和歌集」を編さんした鎌倉時代の歌人の藤原定家が亡くなりました。

1839年 高杉晋作誕生…吉田松陰の松下村塾に学び、農民や町民を集めて奇兵隊を組織し倒幕に力をそそいだものの、明治維新を前に若くして病死した長州藩士の高杉晋作が生まれました。

1988年 イラ・イラ戦争停戦…1980年ペルシャ湾岸地域を優位に支配しようとするイラクのフセイン大統領が、革命後の不安定なイランへ攻撃を開始して、イラン・イラク戦争(イラ・イラ戦争)が始まりました。一進一退のくりかえしだったため、国連の即時停戦の要請を受けて、停戦が実現しました。双方の犠牲者は100万人を超えたといわれています。
投稿日:2015年08月20日(木) 05:59

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)