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「民主的社会主義」 のトリアッティ

今日8月21日は、共産主義運動の国際的指導者として知られ、構造改革路線により西ヨーロッパ最大の共産党を作りあげたイタリア共産党のトリアッティが、1964年に亡くなった日です。

1893年、イタリア北西部のジェノバに下級官吏の子として生まれたバルミーロ・トリアッティは、給費生としてトリノ大学に進学し、在学中の1914年にイタリア社会党に入党しました。1917年のロシア革命や友人のグラムシの影響を受けて、積極的に社会主義運動を展開し、1921年には社会党左派の仲間とイタリア共産党を創立させ、グラシムとともにリーダーのひとりとして活動しました。

やがて共産党はムッソリーニによって非合法化され、1926年にグラムシが逮捕されると、トリアッティはフランスに亡命してパリに指導部を設置し、国外から闘争を展開しました。1935年にコミンテルン(共産主義政党の国際組織)の執行役員になると、スターリンの粛清の嵐の中でも巧みに生き残り、1936〜39年にかけてのスペイン内戦では、人民戦線側にたって活躍しました。

第2次世界大戦中は、モスクワから「エルコレ」の名でラジオ放送を通じて抵抗を呼びかけ、連合国軍と反ファシズム勢力によってイタリア南部が解放された1944年春、19年ぶりに祖国へ帰国すると、対ドイツ解放闘争に総力を結集する党の新しい政策を打ち出してイタリアを解放させました。その後、共産党は政権に加わり、トリアッティは1946年まで副首相を務め、合法的大政党としての共産党の地位を確立しました。

しかし、冷戦が進行するなかでトリアッティは、右翼少年の襲撃により負傷しましたが、1948年夏「社会主義へのイタリアの道」(革命によるプロレタリアート独裁の道とは異なる、健全な進歩的民主主義を通じて社会主義に通じる道)という構造改革路線を提出し、国際的に注目を浴びました。これが「民主主義的社会主義の道」で、キリスト教民主党に続く第2党ながら、西欧で最大の共産党を作りあげることに成功しました。


「8月21日にあった主なできごと」

1862年 生麦事件…今の横浜市鶴見区生麦で、薩摩藩の島津久光一行の前を4人のイギリス人が乗馬のまま横切ったことで、一部の藩士が4人を殺傷、これが原因で、翌年8月に薩英戦争がおこりました。

1911年 「モナリザ」盗難…パリのルーブル美術館から、レオナルド・ダ・ビンチの代表作「モナリザ」が盗まれました。2年後、フィレンツェのホテルで無事発見されましたが、盗みだしたイタリア人のペンキ職人は「レオナルドの故国イタリアへ絵を返してもらっただけだ」と豪語したと伝えられています。
投稿日:2015年08月21日(金) 05:09

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)